茂木健一郎
1962年生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授、早稲田大学国際教養学部非常勤講師。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。「クオリア」(感覚の持つ質感)をテーマに脳と心の関係を研究。2006年1月より、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」キャスター。『脳と仮想』で第4回小林秀雄賞を受賞。現在「脳と恋愛」に関する著作を執筆中。
おいしいものを食べるとき、脳の中でどんな変化が起きているのか。それが近年解明されてきています。
「食べる」という行為は人間が持っている快楽の中で、もっとも強烈な刺激のひとつです。ある欲求が満たされたとき、脳の中では「ドーパミン」と呼ばれる報酬系の神経伝達物質が放出されます。それが「快楽・快感」となるのですが、おいしいものを食べるとき、脳は特に強い喜びを感じている。
親密な人間関係、特に恋愛をうまくいかせるために、おいしい食事を一緒にするというのは理に適ったことと言えます。
よく女性が男性のハートを掴むにはまず胃袋から、と言いますよね。でもそれは男性側も同じことです。
そもそも、人類がまだ狩猟生活をしていた大昔は、男性が獲物を捕えて女性に分け与えていました。それが他人のために何かしてあげる「利他的行動」の起源とも言われているのですが、自分がリスクを冒してまでこんなことをするのは、ある重大なメリットがあった。そう。モテたわけです。しかもそれをさらにおいしく料理なんかしてあげたら、さらにモテてしまうわけですよ(笑)。
向かい合って食事をすると、脳の中の共感回路が働いて強い連帯感を持つようになることもわかっています。一気に距離が縮まるのです。
つまり食事は、進化の過程において、男女が近づくためには、絶対的に必要なものでした。現代でも、デートでどのような店を選択するか、雰囲気や料理のおいしさも含めて、男性の行動はすべて女性にチェックされています。注文のタイミングから会話の内容、立ち居振る舞い。仮に自分には優しくても従業員に横柄なのはNGだとか、うんちくを振り回す男もうんざりだけど、何も知らなすぎてもちょっと……、といった感じに。食事は、知性も感性も必要とされる総合的なものです。人間性のかなりの部分が表れてしまいます。
しかもその肝心の脳の報酬系が簡単に悪いものに「乗っ取られ」てしまうのですから困りものです。手間をかけた上質な料理と、添加物たっぷりのジャンクフードのどちらが健康にいいかが脳には判別できません。世の中に様々な依存症があるのもそのためです。脳は必ずしも自分に必要なものを初めから知っているとは限らない。私が「食育」が大切だと考えるのはそのためです。人は本物の味を学ぶことで人生が磨かれていくのです。