月10万円あれば、将来を考えられる

「月に4~5万円は欲しい」

答えた当人に尋ねると、一も二もなくこんな言葉が返ってきた。

「今は作業所の給料と、障がい者年金を合わせて月8万円ほどで生活しています。でも、グループホームの家賃、食費、お弁当代を払ったら消えてしまうんです……支給前になると缶コーヒー1本買うお金も残りません。もしも、給料が4、5万円あれば月10万円を超えます。10万円あれば、もっと将来の事とか考えられるのに」

何より西澤の胸を打ったのは、彼らから聞こえた「将来」という言葉だった。同時に、今の状況では、将来や人生設計に思いを巡らせたりという余裕さえない、そんな窮する現実が暗々裏に存在していたのだった。

目標は定まった。

「みんなの夢のお店屋さんを実現させよう!」
「月5万円の給料を実現させよう!」

「一人前の仕事ができなければ職員がフォローします」

入所者によるオリジナル木工製品の販売を手掛けるなどしていた西澤は、1998年に店舗付き住宅を借り、古本屋「第2まいづる共同作業所」を開設し、施設長に就任。地域作業所の連絡会で役員も務める中、廃品回収や不用品のバザーなどにより在庫が過剰になっていた古本を事業の基盤に据えたのだった。

だが、古本の売り上げのみで全員に5万円の給料を払えない事は、想像できていた。そこで古本屋をベースに、企業を訪問して仕事を探す事にしたのだ。

「何か、自分たちにできるお仕事はございませんでしょうか?」

片っ端から地元企業に電話をかけるが、一方的に断られる事ばかり。わずかでも興味を持ってくれた企業があれば、すぐさま出向いて直接交渉するが、話がまとまらず、肩を落として帰ってきては、また電話をかける……いつ切れるかわからないような細い糸を、丁寧に丁寧に手繰り寄せる、そんな毎日の繰り返しだった。

西澤をはじめスタッフは、企業の担当者を前にこう懇願した。

「障害のある人を雇用してくれとは言いません。他の人たちと同じように最低賃金を下さい。もしも、一人前の仕事ができない事があれば、一緒に行く職員がフォローして、一人前の仕事は確実にさせて頂きます」

それは、知的・精神・肉体と、障害も違えば程度も違う、彼らの就職活動において導き出した基準であり約束だった。