「もうちょっと、給料、もらわれへんかな?」

「内容は違うけれど、僕より長く、自分の仕事を続けてきた人なのに」

間尺に合わない労働を不思議に思った西澤は、施設の先輩に尋ねるも、返ってきた答えは、「仕方がない」「そういう仕組み」「そんなもん」と、判を押したような言葉ばかり。それでも、理不尽な違和感はずっと消える事はなかった。

西澤は1987年に障がい者施設・まいづる共同作業所の職員となる。プレハブを借り受けて始めた作業所では、10人ほどの利用者とスタッフが一つになり、「働きたい」という切実な願いをかなえる為に奔走した。ある時、共に働く障がい者から、こんな言葉を聞かされた。

「あの……もうちょっと、給料、もらわれへんかな?」

現状に不満を抱く賛同者の出現を、西澤は何よりも喜んだ。

「この言葉は大きかったですね。やっぱり、本人たちもそうやって考えているんだと、自分と同じ疑問を彼らも抱えていたんですね」

体にべっとりとまとわりついていた違和感は、この瞬間に決意へと姿を変え、大きな活力となっていく。

やってみたい仕事は「たこ焼き屋」「寿司屋」「本屋」

時は1997年。作業所に通う人は30名以上も増え、合計80名を越える大所帯になっていた。バブル景気が崩壊して、作業所で力を付けて企業に就職していった人たちが、相次いでリストラ、解雇、または倒産という憂き目に合い、戻って来ていたのだ。

彼らを放ってはおけないが、抱えるほどの仕事量はない。西澤は、これからどんな仕事ができるのか、どんな場所にしていきたいのか、当事者たちに二つのアンケートを行った。

「新たな仕事を始めようと思います。どんな仕事をしてみたいですか?」

というアンケートに対して、80%近い圧倒的多数の答えが「お店屋さん」だった。たこ焼き屋、スーパー、本屋、寿司屋にラーメン屋……彼らに取って一番身近な働く場所、それは街中で見かけるお店屋さんだったのだ。

もう一つは「どれくらいの給料があれば暮らしていけますか?」という問いだった。こちらは回答がバラついた。「3000円ほどで充分です」、から「100万円ほしい!」という夢の回答まで。そんな中、世話人の支援を受けながら障がい者数人で暮らす「グループホーム」から作業所へと通う人の意見が合致していた事に着目した。