代表には先見の明があるんですよ。代表は以前から、日本はいずれ観光大国になると話していて、それから訪日外国人がどんどん増え、建てれば儲かるとバンバンホテルが建ちました。

心配なのは「戦争」と「パンデミック」

すると代表が、これから心配なのは「戦争」と「パンデミック」だ、と。1つの国のお客さまに極端に偏ると、何かあってパタッとお客さまが来なくなることもある。そこで、どの国からも一定の割合以上は超えないようにお招きするように調整を始めたのです。

講演会で色紙をというリクエストに応えるため、寸暇を惜しんで書きためる。
講演会で色紙をというリクエストに応えるため、寸暇を惜しんで書きためる。

奇しくも今、本当にそんな感じになりましたから驚きました。新型コロナウイルスが心配され始めたのは、ちょうど受験シーズンでしたから、中国人観光客の受け入れが少ないアパホテルは安心だと評判になり、多くの受験生にご利用いただきました。「頑張ってくださいね」と試験会場に向かう受験生を私も見送りました。嬉しいことに、合格しましたとお礼の手紙をくださる方もいてね。

人生をうまく生きるには、前向きな姿勢で過ごすことです。現在、新型コロナ騒動でホテル業界は大変です。でも、ピンチのときこそリーダーの哲学が問われます。そして、ピンチはチャンスだと捉えたほうがいい。

アパホテルが成功したのも、ピンチをチャンスに変えてきたからです。

2007年の1月。深夜に突然、京都市役所から「京都のホテルの2棟が耐震基準を満たしていない」と電話がありました。私たちは建築許可を得てゼネコンに発注しています。ルールを守っていることに絶対の自信はありましたが、2棟のホテルの休業を命じられ、謝罪会見の様子はニュースでも連日大きく報じられました。取引先の銀行は「借入金をすべて返してほしい」と言ってきます。四方を敵に囲まれたような感じでした。

元谷社長の手帳を見せていただいた。細かい字でびっしりと書き込まれている。本人はグジャグジャと言うが、極めて簡潔。
元谷社長の手帳を見せていただいた。細かい字でびっしりと書き込まれている。本人はグジャグジャと言うが、極めて簡潔。

でも、私たちが悪いことをしたわけではないのだから、堂々としていれば、いつかわかってもらえると思っていたので、主人と私のなかでは全然、問題ではなかったですね。むしろ、これを乗り越えたら、よりいい会社になれる、と思っていました。

借入金を返済するために建設予定のホテルやマンション用地、遊休地をすべて売り払いました。当時はファンドバブルの最中だったこともあって高値で売ることができ、300億円の借入金をお返ししました。すると、返済が一段落ついたころにリーマンショックです。世界中が金融危機に巻き込まれ、不動産の価格が一気に暴落しました。しかし、私たちはありったけの土地を売ってしまっていましたから、損失を受けずに済んだのです。

そして、不動産価格が下がったタイミングで、都内の地下鉄駅付近の一等地を60カ所ほど購入することができ、そこに順次ホテルをオープンしました。このことがアパグループ躍進の大きなきっかけとなりました。