面白いのは、日本人が「家」の継承と系譜を重んじつつも、その中身に関しては割と最近まで無頓着だったというくだりである。遺伝子だ、Y染色体だ、という男系男子の皇統に重きを置く論者が重視してきたいわゆる「血」の要素に関しては、昔の貴族社会に、あまり強いこだわりは見られない。むしろ、その点に関しては女性の性交渉を含めておおらかであると言ってもいい。
日本における「家」へのこだわりはすさまじい
その一方で、日本における「家」へのこだわりはすさまじい。こうした一本すっと通ったロジックに基づいて、院政の勃興や女性天皇の出現が語られていくので、読者は随所で思わずなるほどと膝を打つことだろう。
本書から浮かび上がってくるのは、歴史が偶然性の連続の上にあるという事実と、そのなかでもやはり日本人が大事にした価値観がいまのあり方を形作っているということの2つだ。日本人が大事にしてきた価値観とは、秩序安定のための長幼の序であり、家格である。
競争よりも身分を、新しいものよりも古いものを重んじてきたのが日本だとすれば、それは著者が言うように秩序を維持しようとする意識的な決断であったのだろう。だからこそ、近代日本が激動の国際情勢のなかで「家」よりも能力を、平穏よりも変革を優先する過程で、ただ1つ変わらないものの象徴として、万世一系の天皇という継続性を前面に押し出さざるをえなかったことがよくわかるのだ。