痴漢を疑われて駅員室や交番に行っても、現行犯逮捕を意味しないという情報は、痴漢冤罪を恐れる男性にとっては不安を解消する情報であると思われるが、そうした情報は参照されずに、駅員に通報すれば現行犯逮捕されるという話が広まっている。

それらの多くは弁護士のコメントによって支えられて、あたかもそれが事実であるかのように広まっている。女性の供述によって痴漢事件が作られると非難する一方で、メディアは痴漢冤罪という物語を作ってきたのだった。

女性を批判するのはお門違いも甚だしい

痴漢冤罪問題では、無実であるにもかかわらず犯罪者として扱われるということの理不尽さに加え、痴漢呼ばわりされることへの強い忌避感が語られる。男性にとって、痴漢呼ばわりされることは大変に不名誉で、尊厳を傷つけられる、恥辱的なことなのだという。

牧野雅子『痴漢とはなにか』(エトセトラブックス)

だが、かつては、痴漢は男性たちの憧れであった。痴漢が「文化」だとさえ言われていたこともあったのだ。1980年代には、渡辺和博、南伸坊といった気鋭のクリエーターが、痴漢のススメを書いていた。

多くの雑誌に痴漢体験談が載り、痴漢常習者の手口が紹介されるほどだった。タレントたちも、さも当然のように、痴漢「加害」経験を語っていた。かつては、警視総監までもが雑誌上の対談で、男性はみな痴漢であるとの発言に笑いながら同意していた。

男がみんな痴漢であるかのように言うなと「女性に」言うのは、お門違いも甚だしい。批判するのなら、女性ではなく、前の世代の男性たちを批判すべきなのだ。

娯楽としての痴漢ブームが終焉し、冤罪ブームへ

2000年以降、それまで男性誌で圧倒的なボリュームを誇っていた痴漢を扱った記事——沿線情報、被害者の写真付きで紹介される被害体験記、常習者の手口の紹介——は、ほぼ姿を消す。その代わりに、痴漢冤罪問題についての記事が大量に掲載されるようになる。

痴漢冤罪事件の多くは、人違いによるものである。痴漢冤罪に巻き込まれることを恐れるのならば、痴漢事件が多い路線や痴漢被害が多い場所は避けた方がいい。それを知るために、痴漢被害の多い路線情報や被害当事者の体験記は有益なはずだ。

しかし、冤罪問題が大きくなると、それまでは男性誌の恒例であった痴漢特集企画は見当たらなくなってしまう。それまでの記事が痴漢をすることを前提にしたものだったということなのだろう。