制作者不明の茶入れが価値を持つメカニズム

欧米の美術だけに限りません。日本の美術も同様です。茶の世界には、手のひらに乗る小さな茶入れひとつが、国の価値と同等だった信長や秀吉の時代がありました。またそれらは今日まで重要な美術品として国宝などに指定されて継続されることで美の価値を保持しているといえます。

(モナ・リザ)は、ダ・ヴィンチが制作したことがわかっていますが、後者の茶入れを誰がつくったのかは不明です。それでも美を評価する人々により、茶入れは価値づけられてきました。信長、秀吉から後に続く経済的価値と結びつく美の価値基準は、それ以前の足利将軍という権威によって形成されていきました。美の価値は制作者だけでなく、それを承認する人々によって形成されるのです。

アートの価格はいかにして決まり、また誰が決めるのか。これらは単純な話ではありませんが、時代ごとの為政者やその周辺に集まる権力者たちが、自らの文化を代表するものとして評価し、愛でてきた歴史の蓄積の結果といえるものです。それは目に見えない価値の長きにわたる集積そのものです。

近代に入ると、資産家を中心にして美は専門家の手に委ねられます。美術館、ギャラリー、オークション会社が誕生し、それに付随して、美術史家、美術評論家、美術ジャーナリスト、ギャラリストなど、美術の評価に関わる専門家が生まれました。これらの専門機関、専門家たちにより、美は語られ、取引され、評価されて、やがてアートとしての権威を持つことになるのです。

なぜ草間彌生の作品は人気があるのか

では、アーティストはどのようなステップを踏んで有名になっていくのでしょうか。後に広く世間に認められるアーティストの場合、多くは最初ギャラリーで展覧会を開催し、様々な機会を見つけては、実験的な展示やパフォーマンスなどを行い、キュレーターなど専門家の間で話題にのぼるところから始まります。

その後、徐々にアーティストとしての露出の機会が増えていき、やがてヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタといった大規模な国際展で評価され、独自に展覧会を展開する。さらに時代時代に話題となる作品を制作し、キャリアを積んでいくうちに作家として評価が固まり、価格は上がっていくことになります。

はじめから価値の定まったアートなどは、存在しません。アーティストが制作し、発表し、評価され、作品が社会の中で共有される過程があってはじめて、芸術的な価値がついていくのです。言い換えると、どんなアート作品にも社会化のプロセスが必要で、その結果、資産としての価値も生まれるのです。

例えば、今や「水玉の女王」の異名を取る大変な人気の草間彌生は、1960年代からニューヨークで活躍するアーティストで、代表的な作品には(インフィニティ・ネット)などがあります。網の目状の形がどこまでも続く抽象絵画で、当時の若手のニューヨークのアーティストたちに多大な影響を与えました。

他にもソフト・スカルプチャー、ハプニング、インスタレーションなどによるセンセーショナルな作品によって話題を立て続けに提供していきました。