文部科学省からいくつか予算を獲得

【武部】卒業して、テーマはもともとやりたかった肝臓を扱えるようになりましたが、自分だけの研究をしようと思ったらお金が必要です。幸い、私は文部科学省からいくつか予算を獲得することができて、自分のチームを持つことができました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】いくらくらい?

【武部】約1500万円です。1つの研究費でその額は難しいので、同時に5個の申請をして、そのうち4つが認められて、トータルでその額に。これだけあれば人を1人雇うこともできます。審査をする方々が若手を応援してやろうと考えてくださったのかもしれませんが、非常にラッキーでした。

【田原】13年には英科学誌「Nature」に論文を発表します。どんな論文でしたか?

【武部】それまで肝臓再生というと、幹細胞から肝臓を構成する肝細胞を分化させて再生するというアプローチがほとんどでした。それに対して私たちがやったのは、iPS細胞から初期的な肝臓を作ること。赤ちゃんが胎児としてお腹の中にいるときの臓器を作ったのです。これは非常に反響が大きかった。科学コミュニティからも反応があったし、患者さんからもたくさん連絡をいただきました。そのタイミングで准教授にも昇格させてもらいました。

【田原】その技術を使えば、臓器の再生ができる?

【武部】誤解を招きたくないのではっきりと言いますが、臓器の再生というレベルではありません。できるのは、一部の機能再生。もう少し具体的に言うと、私たちが作ったミニ肝臓は数カ月から半年という比較的短い間だけ肝臓としての機能を果たしてくれます。それでも移植手術を待つ患者さんなどには大きな意味があります。

【田原】翌年にスタンフォード大学にいく。研究者として軌道に乗ってきたのに、どうして?

【武部】大学の先輩で東大にいた中内啓光先生に誘われました。まわりに一流の研究者がたくさんいると聞いて、私もそういう環境でやってみたいなと。

【田原】山中さんがサンフランシスコの研究所にいたとき、所長から「基礎研究はVW」と言われたとおっしゃっていました。所長はフォルクスワーゲンに乗っているけど、VWは車じゃなくて、ヴィジョンとワークハードのこと。日本人研究者はワークハードだけどヴィジョンがないと気づいて、山中さんはiPS細胞のヴィジョンを描いた。日本でそのヴィジョンを話すと笑われたけど、ヴィジョンがあったから早くできたと。米国と日本の研究環境の違いは、そこですか。