【田原】横浜市大では何を?

【武部】普通の医学部のトレーニングと並行して、幹細胞の研究を、放課後を中心にやっていました。

【田原】学生のころから、臨床より基礎研究?

肝臓移植ができる外科医を目指して

【武部】いえ、そんなことはないです。私はもともと肝臓移植をやりたくて医学部に入りました。高校時代に仲が良かった友達のお父さんが、肝臓移植手術を受けた後に亡くなりまして。そこからずっと肝臓に興味があって、肝臓移植ができる外科医を目指していました。実際、5年生のときには、米国の医師免許をとって、移植の勉強をするためにニューヨークに留学。肝臓の移植センターで何人もの移植を手伝いました。

武部貴則●1986年、神奈川県生まれ。横浜市立大学医学部卒。2018年横浜市立大学教授、東京医科歯科大学教授に31歳で就任。26歳のときに、世界ではじめてiPS細胞から肝臓組織を作り出すことに成功し、その論文が英科学誌「Nature」に掲載された。

【田原】そこからなぜ基礎研究に?

【武部】移植センターでは、何十人ものウェイティングリストがあって、上から重篤な順にランキングがついていました。毎週の会議でやるのは、そのリストから外す人を選ぶこと。「この患者さんは重すぎて間に合わないから」と切っていくんです。その作業を見て、私は「治しているんじゃなくて選んでいるんだ」と衝撃を受けたんですね。もちろん限られたドナーからの貴重な臓器のため、仕方ないと思います。ただ、寂しい思いがぬぐえなくて、自分は基礎研究で根本から変えていくことに生涯を懸けたいと考えるようになりました。あれが転換点でしたね。

【田原】普通は学部を卒業後、臨床の研修を2年やって医者になる。でも、武部さんは臨床の研修もやらなかったそうですね。

【武部】そのまま大学の研究室に助手として採用してもらいました。まわりからは反対されましたね。臨床の人たちからは「研究者なんて試験管を振って遊んでいるだけ。医者になりなさい」と言われたし、逆に研究の先輩たちからは「2年間我慢すれば、その後もバイトで診療ができる。研究者になるとしても、その権利を捨てるのはバカ」とアドバイスをいただきました。でも私としては早く研究に集中したかった。

【田原】山中さんがiPS細胞を発表したのが2007年。武部さんは11年卒業だから、基礎研究もiPS細胞ですか?

【武部】研究は学部のころからやっていましたが、最初は別の細胞でした。ただ、一細胞の再生はできても組織や臓器の再生は難しく、最終的に患者さんに届く研究にはならないという感触は09年あたりから持っていました。そこで卒業を機に研究をiPS細胞中心に切り替えました。

【田原】研究費はどうしたんですか?