東日本大震災や、非情の解雇通告をする試練を経て……

それから3年後。リーマンショック(2008年)が起きる半年前、林原さんはイギリス系同業他社から引き抜かれて転職する。

撮影=堀 隆弘

記者時代に培った知識と人脈、元記者だからこそのメディアの知見、そして報道担当者として修羅場を切り抜けてきた経験を買われたのだ。国内外のメディア対応や社内コミュニケーションを行う、3人の広報チームの責任者に抜擢された。

2011年、東日本大震災が起きた時には、社員の大半を占める外国人社員とその家族のためにも、会社に隣接するホテルに当時5歳の息子と母親を連れて2週間泊まり込み、広報部長として責任を果たした。震災直後で情報が錯綜する中、毎日のように情報を取捨選択して社内に流し、混乱する社内をひとつにまとめた。

この時の社内コミュニケーション力や数々の業績を買われて、さらに外資の大手投資銀行からヘッドハンティングされた。ただし、その会社では、他の社員に対する解雇通告も含む過酷な現場も経験した。在籍5年間でスタッフはほぼ半減した。クビを切られた社員らから恨みを買った。

末端の社員として電話越しに謝り続けるリーマン・ブラザーズ時代もタフだったが、管理職としての非情さも求められる仕事は「精神的につらかった」と、声を落として語る。

そして2017年より、AIGジャパンの広報担当執行役員となった。今は「人の能力を最大限に引き出すことにやりがいを感じている」という。

今はシングルマザー「両親がいなかったら息子は育っていなかった」

ここまでの林原さんの半生は、誰がどう見ても「サクセス人生」だが、本人は、「周囲の助けのおかげです」と至って謙虚だ。激動の仕事のさなか、離婚というほろ苦い経験もした。現在は13歳の息子を育てるシングルマザーでもある。育児のマネジメントも、仕事のようにサクサクこなしているのだろうか。そう聞くと、「仕事のほうがよほどラクですよ」と首を横に振った。

「実を言うと、転職を繰り返していたのは、外資の場合、転職しないとなかなか給与が上がらないからという面もありました。年金暮らしの両親には経済的に頼れませんから、一人息子を育てるためにも転職は必要だったんです。でも、『母子家庭』は言い訳になりませんから、必然的に子育ては両親の力を借りることになります。手厚く世話をしている専業主婦のママ友を見ると、『私も彼女のように手をかけていたら、息子を中学受験で第一志望校に受からせてあげられたんじゃないか』と落ち込むこともありました」