人生の修羅場をどう切り抜ければいいのか。外資系損保AIGジャパンの執行役員・林原麻里子さんは、中学時代にイジメ被害や家出を経験。新卒では年収200万円台の窮乏生活を送った。そんな林原さんの「しくじり人生」を紹介しよう――。(前編/全2回)
撮影=堀 隆弘
外資系損保AIGジャパンの執行役員・林原麻里子さん

家出、極貧、離婚……「私は人生の修羅場をこう乗り越えた」

「今でこそおとなしくしていますが、若いころは相当やんちゃでした」

そう語るのは、外資系損保AIGジャパン・ホールディングス(以下、AIGジャパン)で執行役員を務める林原麻里子さん(49歳)だ。これまでロイター通信で金融経済記者を務めたほか、広報部門のプロとして名だたる外資系金融機関を渡り歩いてきた。

現在はパリっとしたホワイトスーツに身を包むエグゼクティブだが、その道のりは平たんではなかった。思春期の家出経験、社会に出た際の極貧生活、離婚、そして出産・育児……。そうした人生の修羅場をどう切り抜けてきたのか。

幼少時から、「敷かれたレールからはみ出す」子だった

林原さんは大手メーカーに勤務する父親の海外転勤により、5歳から12歳までの8年間(1974~81年)をインドネシアのジャカルタで過ごした。

「小学校時代はインドネシアの日本人学校に通っていました。校内には様々な人種の子がおり、一歩外に出れば、貧富の差を目の当たりにする環境でした。ヒンズー教やイスラム教などの宗教の違い、文化の違いを肌で感じるうちに、『人はそれぞれ違っていて当たり前』という感覚が自然と身につきました」

週末は、他の家族と合同で、船に乗って無人島まで行き、大自然の中で「山猿のようにのびのびと過ごした」という。

「私は幼稚園の頃から、敷かれたレールからはみ出てしまう子だったようで、みんなと一緒に何かしたり、こうあるべきだと決めつけられたりするのが大嫌い。お遊戯でもひとりだけ歌を歌わないし、整列の時もひとりだけはみ出て、人と違う景色を見るのが好きでした。だからでしょうか、多様性に満ちあふれ自由にのびのびと過ごせるインドネシアでの生活は、肌に合っていたんですね」