※本稿は、読売新聞社会部『孤絶 家族内事件』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
精神障害になって16年、急激に悪化した
よく晴れた秋空は、ほぼ無風だった。
2017年秋、男性(81)は、関東で行われたマスターズ陸上大会のトラックに立っていた。スターティングブロックを少しだけ調整し、100メートル先のゴールを見据えてゆっくりと息を吐いた。80代になって、初めてのレースだ。
バン——。号砲とともに勢いよく飛び出すと、小さな歩幅ながらピッチを上げていく。隣のレーンの選手との距離が少しずつ開いていったが、足の回転は落ちない。最後は腕も伸びきり、少し顎も上がったが、その組の2着でゴールラインを通過した。
ベストタイムからはほど遠い記録。男性は記者を見ると、「全然ダメだったね」とはにかんだ。それでも帰り際に銀メダルを授与されると、感慨がこみ上げたようだった。「人生で初めて。もう、こんなのは縁がないと思っていたから」。
長男とかけっこした記憶が、鮮明によみがえっていた。
桜が咲き始めていた8年前の3月。男性は自らの手で息子を殺めた。
神奈川県の都市近郊にある、緩い坂道のそばの一軒家でのことだ。深夜、男性は当時35歳の長男の寝顔を見つめた。
疲れ切っていた。この夜も2時間以上、失禁して家の中を歩き回った長男の面倒を見た。
「親父さん、介添えしてくれ」——。普段は「お父さん」と呼ぶ息子が、真っ暗な廊下で、寝間着のズボンをぐっしょり濡らしながらつぶやいていた。同居の妻や娘を起こさないように、そっと、下着と服を着替えさせてやった。精神障害になって16年。長男の病状は、数日前から急激に悪化していた。
日記に書いていた「愛しかった。複雑」
日記をつけた。
「今後も再発の可能性がある」。2日前の主治医の言葉が頭から離れなかった。入院させるなら費用は借金するしかない。抵抗する息子を連れて行こうにも、警備会社を呼ぶには10万円単位の費用がかかる。何度考えても、金策は尽きていた。妻や娘をまた苦しめてしまうのが、何よりつらかった。
気がつくと、寝室のタンスから手探りでネクタイを取り出していた。長男が昔、使っていたものだ。上着のポケットに突っ込み、息子の部屋に戻った。
3人きょうだいの末っ子だった長男は、2200グラムの未熟児で生まれた。メーカーで営業をしていた男性は、5歳の頃から息子を自宅前の坂道に連れ出してはプラスチックのバットを振らせ、ボールを投げて熱心に教えた。
高校ではソフトボール部。息子は身長も伸び、力のあるバッターに成長した。
忘れられない試合があったのも桜の頃だった。全国大会で、相手は前年の優勝校。雨が降りしきる中、両校無得点で迎えた三回。息子の打球はライナーで飛び、3点本塁打になった。
当時の公式スコアが、地元の競技団体に残っている。長男の名前が記され、「○○の本塁打で試合をリードした」とある。逆転され、試合は負けた。それでも男性は、幼い頃から坂道で鍛えた息子が放った大飛球が誇らしかった。