暴れても保護はかなわず、経済的には限界に

2010年の3月下旬。事件の数日前に、症状の悪化は始まった。

長男は突然、大声で叫んで家中の壁や扉を壊し、外に飛び出して通行する車を止めた。本人は「交通整理」のつもりだったようだ。自宅前の道路は渋滞し、警察が来た。

警察が来たことは、それまでにも何度もあった。男性は長男が暴れるたびに警察を呼び、保護を訴えた。ところが、警察が来ると長男は落ち着きを取り戻し、処方された薬をおとなしく服用した。そのため、「保護してほしい」という男性の願いは、いつもかなうことがなかったのだ。

長く通院を続け、薬を服用してきたことで、病状は安定していると男性は思っていた。突然の悪化に戸惑った。「治るんですか……」。主治医に聞くと、今後も再発する可能性を告げられた。

長年の介護で、経済的にも限界が来ていた。

〈不治の病。人生の終焉を息子と共にしたい〉。日記にそう記し、妻や同居の娘に無理心中をほのめかした。この時期は、長男の姉に当たる娘と、その子どもたちも同居していた。

「ダメだよ。頑張ろうよ」と娘に言われ、いったんは思いとどまった。だが、その翌日にも、男性はやはり日記にこうつづった。

〈私なりに熟慮し、息子を連れていきます〉

それを発見した長女は、また男性に声をかけた。「変なこと考えないで」。孫にもこう言われた。「おじいちゃん、僕もいるから、一緒に頑張っていこうよ」。男性は「そうだな。おじいちゃん、頑張るよ」と応じるのが精いっぱいだった。

「息子と家族を救うには、自分が責任を取るしかない」

長男が失禁したのは、その夜だった。この子は病気のせいで暴れたり、外に出て人に迷惑をかけたりするようになってしまっている。かわいそうだった。妻の体調も思わしくない。もし自分が死んだら、どうしたらいいのか——。

「息子と家族を救うには、自分が責任を取るしかない。自分一人が悪者になれば良い」

決心すると、ネクタイを長男の首に回していた。拳を振り上げて抵抗してきたが、約6分間、力を込め続けた。後遺症でさらに苦しめたくはなかった。長男が動かなくなると、その場で自ら110番通報し、自首した。

事件がテレビのニュースで報道されると、男性宅前に報道陣が集まってきた。その様子に驚いて駆けつけた自治会長は、長男が壊した物が散乱した室内を見て、茫然ぼうぜんとした。

「たとえ相談されたとしても、自分に何ができただろうか」。立ちつくすしかなかった。

殺人罪で起訴された男性の裁判員裁判には、自治会長の上申書も提出された。男性の自治会活動に対する熱心な姿勢などを評価し、寛大な刑を求めるとともに、こう書かれていた。

〈家庭内の状況等については、一切話されること無く、私も含めた他の役員もまったくといって良いほど承知しておりませんでした〉
〈会長として、自責の念にかられるばかりであります。家庭内のこうした事情を公開し支援等を求める難しさを考慮すると、決して他人事とも思えず、地域としてこうした事案にどう対応してゆくべきなのか、考えても考えても対策が見えてまいりません〉