児童虐待による悲惨な事件が報じられるたび、児童相談所は「殺したのはお前らだ」といった批判を受ける。だが倉敷児童相談所所長だった浅田浩司氏は、すぐ子を親から離すのではなく、親子が一緒に暮らす道をギリギリまで探るという。なぜなのか。読売新聞社会部の著書『孤絶 家族内事件』(中央公論新社)より浅田さんのエピソードを紹介する——。(第3回)
※本稿は、読売新聞社会部『孤絶 家族内事件』(中央公論新社)の一部を再編集したものです(年齢、肩書は取材時)。
8歳女児「母親によくたたかれる」
「警察から8歳女児について虐待通告。母親が暴れたと警察が覚知。女児は『母親によくたたかれる』と話している。母親には発達障害あり」
「夫婦間暴力の両親による心理的虐待。家を出た母親が2歳と0歳の兄弟と車中泊繰り返す」
「警察から午前1時頃、15歳男児が『父親に殴られた』と交番に駆け込んできたとの通告。何発殴られたか分からないが、唇が腫れている」……。
2017年6月下旬、倉敷児童相談所(岡山県倉敷市)の会議室。虐待家庭の資料が詰まった分厚いファイルが積み上げられた机を囲んで、直近1週間で同児相に寄せられた0~17歳の子ども23人に関する虐待通告の説明が続いていた。
「一時保護」で子どもを親から強制的に離すべきかどうか。今後の親子の生活をどう支えるか。会議では、同児相のケースワーカーが受理した虐待通告の概要を説明し、集まった児童福祉司、児童心理司、保健師ら職員約30人で議論しながら、子ども一人ひとりについて対応を決めていく。