2004年に弁護士の坪井節子さんが仲間とともに開設した「カリヨン子どもセンター」は、家庭に問題があって逃げ場がない子どもたちを救うシェルターだ。そこにたどりついた子どもたちは、しばらくさまざまな問題行動を起こすという。その行動の意味とは――。

※本稿は、おおたとしまさ『ルポ 教育虐待』(ディスカヴァー携書)の一部を再編集したものです。

大人が幸せでないことが最大の問題

カリヨンをオープンした当初は高校を中退した子どもたちがやってくることが多かった。しかししばらくすると定時制高校に通っている子どもたちが増えてきた。そして近ごろでは全日制の高校に通っている子どもたちが増えてきている。虐待の裾野が広がってきているようなのである。

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/evgenyatamanenko)

児童虐待相談対応件数の推移を見ると、集計を始めた1990年には年間約1000件であったものが、2017年には年間約13万4000件にまで増えている。児童虐待に対する認識とともに、それを見かけたら他人であっても通報しなければならないという考え方が広まってきたので、相談対応件数が急激に増えること自体は不思議ではない。ゆえにこの数字だけをもってして実際に児童虐待が急増しているとはいえない。しかしそれを考慮しても、「実際、児童虐待の件数も増えているのではないか」と坪井さんは見ている。

「大人が幸せでないことが最大の問題ではないでしょうか。大人が、不満、いらだち、ストレスを抱えていたら、そのしわ寄せは弱者に向けられるでしょう。非行に走ることができた子どもは、もしくは逃げることができた子どもは、その理不尽な支配に対してNOを発することができた子どもです。そのエネルギーがあるだけましです。それができないと、うつ病になってしまったり自傷行為におよんだり、最悪の場合には自殺・殺人にまで追い込まれるのです」

大人に対する絶望

その状態からやっとの思いで逃げてきた子どもたち。それでもすぐに安堵できるわけではない。

教育虐待に限らず、虐待を受けて育った子どもたちは大人を信用していない。大人のことを、子どもを支配するか無視するか利用する存在だと思っている。

シェルターの大人たちは殴らないし、蹴らない。シェルターではののしられることもない。いつでも誰かがそばにいてくれて、話を聞いてくれて、三度のごはんをつくってくれて、いっしょに食卓を囲んでくれる。自分の部屋が与えられ、自分でカギを閉めてもよくて、誰も勝手に入ってこない。いっしょにテレビを見たり、散歩をしたり、買い物に行ったりできる。

それでも子どもたちの無意識の緊張はすぐには解けない。それが現実の世界とはにわかには信じられない。「大人がこんなに優しいわけがない。そのうちこの大人たちも自分を見捨てるぞ」と思う不信から逃れられない。