どうせ死ぬなら、無謀と言われるような夢に向かって、死ぬ気になってがんばってみよう。そこで5年後、70歳になったらエベレストに登ると決めました。以来、私の「攻めの健康法」が始まったのです。

まずは札幌の自宅のそばにある「藻岩山(もいわやま)」に登ってみました。標高531メートルの低山。ところが、私はこの山すら登れませんでした。気が遠くなりそうでした。しかしすぐにこう思い直しました。

「これでエベレストに登れるようになったら面白いじゃないか」

まずは健康な60代の体に戻そう。そして富士山に登れるようになったら、エベレスト登頂のためのトレーニングを始めよう。5年かけて段階的に調整すれば、なんとかなるだろうと。

では、具体的に何をしたか。心臓が弱り、スキーで膝を痛めた私にランニングは無理。それならウオーキングがいい。しかしただ歩くだけでは足腰を鍛えることはできない。そこで考えたのが、両足首に1キロずつ重りをつけ、10キロのザックを背負って歩く、名付けて「ヘビーウオーキング」です。

ペットボトルを入れたザックを背負って歩く

講演などの仕事の移動時にも、足首にウエートを装着し、水の入ったペットボトルを入れたザックを背負って歩くようにすれば、時間を有効に使えるうえ、トレーニングにもなる。最初は無理をせず、ゆっくり歩くことを心がけました。

ヘビーウオーキングを続けるうち、少しずつ体重が減り、各種の数値が改善し、体力が戻ってきました。そこで徐々に歩く距離をのばし、負荷を重くしていくうち、半年後には富士山に登れるようになっていました。そして5年後にはついに、70歳でエベレストに登ることができたのです。

しかし75歳で2度目のエベレスト登頂に成功した翌年、スキーで転倒し、大腿骨と骨盤を骨折。「寝たきりになるかもしれません。うまくいって車椅子生活です」と医師に宣告されましたが、私は90代で3回も骨折から立ち直った父の姿を見ている。だから家族は大反対しましたが、3度目のエベレストに挑戦する夢を捨てませんでした。

早く骨折を治すには、病院の食事だけでは心もとない。家内に頼んで生姜やニンニク、野菜をたっぷり入れて鮭の頭と中骨を圧力鍋で柔らかく煮たものを作ってもらい、それを1日3食、主食として食べました。すると医師も驚くほどきれいに骨がくっつきました。当時私は76歳でしたが骨密度は20代と同等になっていました。

じつはこの食事、父から学んだものです。父は鮭ではなく、鶏を丸ごとと、野菜を入れて圧力鍋で煮たものを食べていました。私は鶏の骨は少し抵抗があったので、鮭に変えたのです。ちなみに、プロスキーヤーの次男・豪太もそれを食べて育ちました。三浦家には欠かせない食べ物になっています。

▼三浦流 現役を続ける3つの秘訣
1. 人生を懸ける「夢=目標」を決める
2. 重りつきウオーキングを習慣に
3. 圧力調理で食材を丸ごと食べる
(構成=長山清子 撮影=今村拓馬)
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