日本人の平均寿命は男性が81.9歳、女性が87.26歳――長い人生、できるだけ健康にすごしたいと誰もが願う。そこで今回は、世界を代表する冒険家、大学トップ、脳科学者が、明日から使える若返りノウハウを開陳する。

メタボだった私が、最高峰に挑んだ理由

私は2003年、08年、13年の計3回、エベレストの登頂に成功しました。それぞれ70歳、75歳、80歳のときです。2019年1月には86歳で南米最高峰のアコンカグアに挑みましたが、残念ながら標高6000メートルの地点でドクターストップがかかり、登頂はかないませんでした。しかし、このまま終わるつもりはありません。あと4年、90歳になったら、また別の山に挑戦するつもりです。なぜ私が過酷な登山ができるかといえば、「攻めの健康法」を実行しているからにほかなりません。現状維持では、それなりに年老いてしまう。「攻め」の姿勢が不可欠なのです。

プロスキーヤー 三浦雄一郎氏

実は私は50代半ばから65歳までの約10年、緊張感のない生活を送っていました。スキーやハイキング、ゴルフなどそれなりに体を動かしてはいました。しかし食べる量は変わらず、食べ放題、飲み放題。そんな生活を送っているうちに、身長164センチ、体重88キロのメタボ体形になってしまったのです。

そんなある日の明け方、布団のなかでいきなり心臓を鷲掴みにされたような痛みに襲われました。狭心症でした。発作がおさまっても、私は病院へ行くのを先延ばしに。「プロスキーヤーのくせにそんなに太って、生活習慣病になったのか」と思われるのがイヤだったのです。しかし、たまたま、家内のつきそいで大学時代の先輩が院長を務める病院に行ったところ、その先輩につかまってしまいました。

「三浦くん、せっかくだからきみも一通り調べていくといい」

検査結果は悲惨の一言。血圧は上が190もあり、高脂血症で、糖尿病の疑いもある。特にひどかったのが腎臓で、「このままでは人工透析を受けることになる。そればかりか、あと3年くらいしか生きられないかもしれない」と言われてしまったのです。

99歳で父が挑んだモンブラン滑走

ちょうどそのころです。父の三浦敬三が、「99歳でモンブランの大氷河をスキーで滑る」と宣言したのです。父は70歳でヒマラヤ、77歳でキリマンジャロを滑降し、88歳でアルプスの4000メートル級の尾根を縦走。101歳で亡くなる直前までスキーを続けていました。90歳を超えてからは3回も骨折していますが、寝たきりになるどころか、「次はあの山を滑る」という目標があるせいか、なんとか治してしまう。そんな親父が「99歳でモンブラン」と言っているのに、60代の私はなぜこうなのかと。そのとき私は思ったのです。父には無謀ともいえるほどの高い目標、つまり夢がある。私がこうなった直接的な原因は、飲みすぎ食べすぎによる肥満かもしれないが、もとはといえばチャレンジすべき夢を失っていたせいではないのか――。