「少年マガジン」が防弾チョッキの代わりだった

1999年3月24日6時7分、海上自衛隊の護衛艦「みょうこう」の航海長だった著者は、複雑な思いで「面舵一杯」を下令した。日本人が拉致されているかもしれない北朝鮮工作船を警告射撃で停止させ、隊員が立入検査に乗り込もうとした矢先、その船は再びフルスピードで逃走。「みょうこう」も急加速して追走したが、そこで日本政府から作戦中止命令が出たからだ。あっという間に日本海の波間に消えていく船影は今も目に焼きついているという。

「能登半島沖不審船事案」と呼ばれるこの出来事が、防衛庁(現防衛省)初の特殊部隊「特別警備隊」を海上自衛隊内に創設するきっかけとなった。

あの日、立入検査ができたとしても成功する可能性は極めて低かった。そもそも法令を遵守しているかどうかをチェックする“立入検査”で日本人を奪還できるわけもなく、防弾チョッキさえ装備されていなかった。出撃を控えた彼らの胴体には「少年マガジン」がガムテープでぐるぐる巻きにされていたそうだ。

著者は、この体験後、特殊部隊を志願し、創隊準備から8年間、特殊戦の現場責任者を務めた。

「私は、防衛省や自衛隊は日本人のよくない国民性が出やすい組織だと思っています。あの事件でもそれがあぶり出された。命令による統制が愚直なまでに徹底される日本の組織の特徴が如実に表れています。大して発令の理由を説明されないまま、生きて帰ってこられるかわからない命令を受けた隊員らは、短時間のうちに出撃を覚悟しました。日本人が想像する以上に、この国では恐ろしいほど上意下達の文化がある。そういう一面があることを政治家はもちろん、多くの日本人に知っておいてほしい」