「私の生涯は幸福であったと思っています」

「幸福な生活の創造」と題した、平成7年姫路市の講演会で小嶋は次のように語っている。

東海友和『イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子』(プレジデント社)

「私の生涯は幸福であったと思っています。父は小学校6年、母は18歳の時に別れて兄弟5人で育ったのでありますが、幸いなことに経済的には不自由なく大きくなり、今も現存する4人の兄弟も元気に過ごしています。大変よい師、良い友、よい書籍に恵まれました。家庭的にも良い主人に恵まれ、歳相応の健康で過ごしています。それらの出会いの中でも私の人生を変えたいくつかのことがあります」

「特にジャスコの創業にかかわったことは、私自身にとっても大きな変革でした。呉服屋の娘であった時は、私はなんらの生活手段も、生活技術も持ち合わせていませんでした。いわば、先祖の余徳によって生かされてきました」

「戦後の日本の変革を激しく受け止めたことが、企業合併を決断させたことにつながり、自分自身もまた人事管理、組織や制度などを創る知識と技術を猛烈な勉強によって得ることができました。それは大きな選択であり、自力で生活する人間への脱皮をはかったという人生の変革でもありました」

「逃げ」「甘え」に走ってはいけない

また別の講演会ではこう話している。

「私のことを同族であったから今日の立場があるという人もいますが、私は同族を意識したことがなく、今日の地位は私自身の猛烈な勉強と学んだことを勇敢に実践することによって得られた結果だと思っています」

あまり自分自身のことを公言しない小嶋がその自負を語ったのである。旺盛な知識欲と実践に対する決断への勇気、とことん逃げない正面突破の姿勢は男顔負けである。

小嶋は男も女も同様だとしながらも、ある意味女性には厳しい面をみせる。それは女性特有の「逃げ」「甘え」に行ってはいけないという、小嶋の強い応援の意味が含まれているのである。

「女性のかたがたの奮起をお願いしたいと思います。まず決心すること、見聞を広げること、実行に手をかすこと、自分の意志で参加することです」

東海友和(とうかい・ともかず)
東和コンサルティング 代表
三重県生まれ。岡田屋(現イオン株式会社)にて人事教育を中心に総務・営業・店舗開発・新規事業・経営監査などを経て、創業者小嶋千鶴子氏の私設美術館の設立にかかわる。美術館の運営責任者として数々の企画展をプロデュース、後に公益財団法人岡田文化財団の事務局長を務める。その後独立して現在、株式会社東和コンサルティングの代表取締役、公益法人・一般企業のマネジメントと人と組織を中心にコンサル活動をしている。
(撮影=プレジデント社書籍編集部)
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