ドローン操縦士を育成するスクールを開講

【田原】それで空飛ぶバイクを?

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【小松】僕は最終的に宇宙船をつくりたいんです。ただ、いきなり宇宙は難しい。そこで現実的には、空飛ぶバイクからスタートかなと。当時5人のスタッフにそう話したら、空飛ぶバイクでさえ「おもしろいけど、本当にできるのか」という反応でしたが(笑)。

【田原】僕もよくわからない。空飛ぶバイクは、どうやって地上から浮くんですか?

【小松】地面効果といって、プロペラを回して風を思い切り地面に吹きつけて浮く力をつくり出します。浮くこと自体は難しくないのですが、人が乗って進むとなると、いろいろな技術が必要になる。車体には強度が求められるし、姿勢制御もしなくてはいけません。そのあたりを計算して設計を行い、試作品をつくったら、人が乗った状態で10センチ浮きました。浮くことが確認できたので、そこから本格的に開発をスタートさせました。

【田原】設計や試作品の製作は小松さんが?

【小松】基本設計は僕です。試作品は下町の工場のおじちゃんたちと仲良くなってつくってもらいました。最初の実験は品川の倉庫で行い、次は山梨で。社長になって3カ月後の17年5月のことでした。

【田原】うまくいってなかったドローン事業のほうはやめたんですか?

【小松】いえ、続けています。じつは会社を買収する以前からドローンには関わっていて、ドローンの操縦士を育成するスクールをつくったりしていました。

【田原】操縦士?

【小松】15年4月に首相官邸にドローンが落下して問題になりましたよね。世間は、この事件のせいでドローンビジネスが委縮すると言っていましたが、僕はドローンが広く認知されて逆にチャンスになると思いました。具体的には、墜落させると危ないので操縦が免許制になって、操縦士の育成スクールが流行ると考えた。そこである専門学校に操縦士のコースをつくりました。この講座を始めて3~4カ月経ったころ、僕はA.L.I.参画の準備に取り掛かった。育成からは手を引きましたが、講座はまだ続いているようです。

【田原】そこでドローンと手を切って空飛ぶバイクに集中してもよかった。どうして会社としてもドローンを続けたのですか?

【小松】ドローンの制御技術やセンサーの使い方は、空飛ぶバイクにも有効です。ドローンの技術を突き詰めることが、空飛ぶバイクの開発にも役立ちますから。

【田原】でも、買収前はドローン事業がうまくいってなかったんですよね? 空飛ぶバイクの開発資金が必要なときに、赤字を垂れ流すわけにはいかなかったのでは。

【小松】うまくいかない原因はわかっていました。自分たちがつくったものはすごいだろうという姿勢で市場を無視する企業は少なくありません。A.L.I.も買収前はまさにそういう状態で、クライアントのニーズに合わせてつくるという発想が欠けていたのです。技術はいいものを持っていたので、お客様へのコンサルティングから入って開発につなげるというやり方に転換したらうまくいく確信はありました。実際、買収1年目から決算は黒字になっています。

【田原】具体的に聞きたい。コンサルティングって、何をしたのですか?