エンジェル投資の失敗を糧に、ベンチャーに参画
【小松】はい、そうです。高校時代にも語学留学を兼ねてニュージーランドでボランティアをしたことがあって、大学に入ってからもまたやりたいなと。オーストラリアでは、町をきれいにする活動や、アボリジニーの支援団体の手伝いをしていました。そのとき気づいたのは、何事も自分でやったほうが早いということ。たとえば資金や物品を調達するときも、いちいち本部に申請が必要で、時間がかかる。それなら自分でお金を稼いで財団などを立ち上げたほうがいいと思っていました。
【田原】大学院を出られて、外資系の証券会社に入られる。どうして証券会社に?
【小松】当時は外資系金融機関に優秀な人材が集まっていました。そういう人たちとコミュニケーションすれば、自分の知らない世界に触れられるんじゃないかと思いまして。
【田原】オフィスは日本?
【小松】採用は日本支社です。ただ、1年目はニューヨークでトレーニングを受けていました。そのあとは日本に戻って日本橋に通勤していました。しばらくしてリーマンショックが起きて、2009年にシンガポールのファンドに転職しました。
【田原】ウォール街じゃなくてシンガポールのほうが魅力的だった?
【小松】当時のシンガポールは発展途上で、国と一緒に成長していける機会に自分をベットしようと思いまして。結局、向こうには5年半いたのかな。じつはシンガポールで、起業のきっかけとなる出会いもありました。楽天野球団の初代社長で、いまユーネクストで副社長をされている島田亨さんです。お会いしたときに、「起業するなら、考えていても仕方ない。いま動け」と背中を押していただきました。
【田原】起業するにしても、どうして空飛ぶバイクだったんですか?
【小松】空飛ぶバイクにすぐいきついたわけではありません。起業への思いはあるものの、一方で吹っ切れないところもあって、まずはエンジェル投資家としてスタートアップに投資するところから始めました。ただ、投資した会社が倒産したり、事業が頓挫して、ことごとく失敗。その原因を分析しているうちに、やっぱり自分で直接経営しようと。
【田原】自分でやったほうがいいと思って、A.L.I.テクノロジーズを創業するんですか?
【小松】いえ、すでに会社はありました。日本に帰国後、東大の先生に呼ばれてOBと学生の飲み会に行って、A.L.I.テクノロジーズを創業した後輩に出会いました。ドローンの開発をする会社でしたが、当時はあまりうまくいっていませんでした。その会社にエンジェル投資家として入られていた千葉功太郎さんの後押しもあって経営を引き継ぐことになったんです。
【田原】それまでも投資して失敗したのに、まだ会社を買うお金があったのですか?
【小松】物欲がないほうなので、ちゃんと貯めていました。
【田原】ファンドって儲かるんですね。でも、高給取りだったのに、辞めたわけですね。
【小松】お金をもらうより、新しいものをつくったほうがいいと思ったんです。