向き合うべきは他人ではなく自分

そんな印象をゴルフに対して持っている私は、一時期一瞬ですが真剣にやろうと思ったことがありました。それでゴルフ好きの兄弟子・談春兄さんにその旨を打ち明けてみると、こう言われたのです。

落語の「マクラ」では、自身の筋トレを話題にすることも

「お前がやれば、気遣いし過ぎて参っちまうぞ」と。さすがゴルフの本質と、私のキャラを看破した人の言葉です。

「自分よりは他人を第一に考える」のがコミュニケーションの基本ならば、まさにゴルフはその意味で合目的的(ごうもくてきてき)なスポーツです。

そしてなにより、ゴルフには爽快感があります。晴天に恵まれた「軽井沢72」などのコースできれいなフォームでスカッとドライバーを打ち込むのは、気持ちの良さと共に若干のブルジョア感も想像できて、憧れるところがあります。

それに対して筋トレ。

ゴルフとはすべてがシンメトリーを描くほど正反対です。ゴルフで必要とされるような他者とのコミュニケーション能力はまったく問われません。基本すべて一人で取り組むジャンルのスポーツです。コミュニケーションは、ジムで同じマシンを使っている人がいたとしたら、せいぜい軽くあいさつをするくらいでしょう。

向き合うべきは他人ではなく自分です。

筋トレは、談志の教えそのものだった

そして一番違うところとしては、ゴルフのような爽快感ではなく、苦痛しかないという点です。筋トレにはスクワットという種目があります。重いバーベルを肩にかけて、屈伸運動するという実に単純なものですが、血圧が300近くにもなるほどの息苦しさと倒れ込みそうになるほどの酸欠感しかありません。あえて言えば達成感だけは得られるのでしょうが、それとて自分がひそかに設定したメニューをこなしただけという自己満足的なもので、いいショットをお互いに褒めたたえ合えるゴルフのような共感性は皆無です。

ではなぜこんなつらさしか味わえないスポーツを私は長いこと続けて来られたのでしょうか。

さあ、ここで、筋トレと談志との共通項が浮かび上がってきます。

実は筋トレこそ談志の教えそのものだと、つくづく思うのです。

え、何を言い出したかって? これより3つの共通項を説明していきましょう。