イチローが引退した。引退会見では「(引退後は)監督はない。人望ないから」「草野球を極める」といった受け答えが注目された。なぜイチローの発言は「変わっている」と思われるのか。落語家・立川談慶さんは「イチローさんの発言を『わからない』『変わっている』という人は、発言の表層しか理解できてない。要は筋トレが足りない」という――。

松本人志が筋トレにハマった理由

ダウンタウンの松本人志さん、GMOインターネット社長の熊谷正寿さん、ミュージシャンの西川貴教さん……カリスマ性を発揮する一流の人はなぜ筋トレにハマるのでしょうか。

自他ともに認める「筋トレマニア」の落語家・立川談慶さん。「花粉の季節はマスクを着用しましょう」

私、思うんです。彼らはみな「一人きり」になりたいのではないかと。もっといえば、一人になって自分を客観視する時間ほしさに、筋トレにのめり込んでいくのではないでしょうか。

一流の人は得てしてコミュニケーション能力が高いものです。そして彼らはみんな、自分を客観視できています。

考えてみてください。

筋トレをすると「ああ、自分という人間は、まだベンチプレス100キロをギリギリ8回までしか挙げられないのだな」「ダンベルカールで10キロ30回を3セットやったらバテる体力なんだよなあ」と身をもってわかるでしょう。その圧倒的な事実が「俺が俺が」と絶対化しがちな自分を次第に相対化し、「そんな力しかない自分が、他人様に偉そうなことは言えないわなあ」と反省のきっかけをつくります。

筋肥大だけを求める剥き出しの自分と向き合う

一流の人にとって、筋トレはニュートラルになれる時間でもあります。

彼らは一目置かれるがゆえに他人から「称賛と非難」を常に受ける立場にいます。身内やファンに称賛を受けてやる気を高めることもあれば、悪意あるネット民に非難を受けて落ち込むこともあります。しかし、ひとたび筋トレをはじめてしまえば他人不在の空間に入り浸れる。そこには誰もいないし、誰も侵入してこない。筋肥大だけを求めるありのままの自分しかいない。本来の自分に戻り、自分は自分だと再確認して、心を整えられるのです。

筋トレに励む一流の人たちは、そのような反省を日々更新し、ニュートラルであり続けるからこそ一流であり続けるのだと思います。「自己改革は他人の目がない一人の時にしかできないはずだ」という考えに立脚すると、その役目を筋トレに見いだし、肉体的には筋肥大を、精神的には内面充実という一石二鳥の成果を得られるのです。

すべてのビジネスパーソンはこれに倣わない手はありません。