診察室の中だけでは解決できない
私は都内で内科の診療所をやっている医師です。10年ほど前、身近な人の自死をきっかけに、医療職のメンタルヘルス支援活動を始めました。公私問わずさまざまな相談を受けるなかで、彼らが抱えるさまざまな「生きづらさ」に触れてきました。
大半は病気などによって本来の生きる力が一時的に失われているケースなのですが、それとは毛色の違う、永続的に続くような深刻な「生きづらさ」を抱えているケースがあります。そうした人たちがもつ苦悩は、私が「医師」として診察室の中だけで関わるだけでは、解決に至ることがほとんどありませんでした。
今は、自分の手の届く範囲のSOSに対して、医師の職務としてではなく、ひとりの個人として向き合うことをライフワークとしています。彼らが抱えている根源的な「痛み」の生々しい現実や、そこから人生を回復させていく鮮やかな変化の様子をみながら感じたことを、SNSに投稿したり、文章にしたりしています。
中でも「自己肯定感」についてのツイートやコラムは特に反応が大きいのです。ふだん普通に生活をしているようにみえていても、心の奥に深刻な生きづらさを抱えながら、それを隠してギリギリで生きている人が相当数いるのだろうと強く感じています。
一流大学を出ても自分を肯定できない
「先生、私は自分が生きる意味がわかりません」
「自分がこの世に生きてていいって、どうしても思えないんです」
こんな言葉を、私に伝えてくれた彼女は、普通の人から見たら「恵まれた家庭」に生まれ、いわゆる「一流大学」を卒業した、誰もがうらやむような華美な経歴の持ち主でした。聡明な知性を持ち、仕事においても「尋常でないほどの」努力家で、職場からも取引先からも全方位的に評判の良い人物でした。しかし、その他者評価からは想像できないほど、低い自己肯定感をもっていたのです。
「自分に自信がほしくて、努力してきました。そのおかげで、行きたかった大学、行きたかった会社に行くことができました。でも、ホッとしたのはほんの一瞬だけ。今も、振り落とされないように必死でしがみついています」
「この先、幸せになれるイメージが、全く湧かないんです」
泣きながら、絞り出すようにそう伝えてくれた彼女は、「存在レベルでの生きづらさ」を抱えているように思えました。彼女のような苦悩を持つ人の話を聴くたびに、この時代に幸せになることの難しさを痛感するのです。
彼女は、「自分の物語」を生きられていませんでした。自分ではない誰かのための人生を、誰かのための感情を、生きさせられているようで、その先の見えない苦しさにあえいでいるように感じました。彼女のように、自分を肯定できずに苦しんでいる若者にふれる度に、現代において「自分の物語」を生きることの必要性を痛切に感じるのです。