「だから私はダメなんだ病」に注意

自分の物語を編集するにあたって、最も警戒すべき現象のひとつが「だから私はダメなんだ病」です。前述のように、自分の物語は、これまでの人生で起こってきた出来事と、その解釈によって紡がれていきます。どんなに素晴らしい「出来事」があっても、その解釈がネガティブであれば価値がゼロになってしまいます。自分の物語をだめにする悪魔は、実は「解釈」のところに潜んでいるのです。

冒頭の彼女は、こう言いました。

「頑張って、夢だった大学に入れました。そこで自分が変われるような気がして。でも、ダメでした。大学は私なんかと違って、本当に優秀な人ばかりだから、本当は全然ダメな私であることがバレないように必死で取り繕っていました」

達成した目標の難易度がどれだけ高かろうと、どこからでも「だから自分はダメなんだ」という結論に至る解釈を見つけてきてしまうのが「だから私はダメなんだ病」です。仮に合格した大学がハーバードやスタンフォードだったとしても、「自分はダメだ」という結論は変わらないでしょう。

「嘘のない物語」が人生を支える

自分の物語をつくる上で、最も重要なことは、自分の感情に素直になることです。怒り、嫉妬、悲しみなど、誰かに話すことがはばかられるようなネガティブなものもありますが、感じてはいけない感情はありません。感じたままの感情だけが、自分に起きた出来事に納得するための解釈をもたらしてくれます。

それが綺麗なものであるとは限りません。むしろ「狂っている」とか「いびつだ」と言われるようなものかもしれない。でも、それを自分固有のかたちとして、自分自身が納得して受容できたとしたら、それは誰にも比べられることのない「心づよい物語」になります。なぜなら、自分の物語を紡ぐことができるのは、自分の感情だけだからです。他人の価値基準や誰かのための感情に基づいた物語は、本当の生きる力を与えてはくれません。

明確な答えのない今の時代において、人の心を動かすのは「弱き者の物語」だと思っています。さまざまな作品において、いま「弱き者」が支持されてきている。そこに登場するキャラクターは、どこか弱く、格好悪く、人間臭い。その嘘のないリアリティーこそが愛おしさの源泉であり、完璧でないわれわれに「それでも生きていていいのだ」と安心を与えてくれます。いびつさは、その人の真骨頂であり、本質的な魅力そのものです。

自分の弱さ、いびつさ、未熟でかっこ悪いところを認めて、それをも引き受けた「嘘のない物語」は、ありのままの自分を「それでもいいよ」と肯定し、永きにわたって人生を支えてくれる「しなやかな強さ」をもたらすものになると思います。

鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)
秋葉原内科saveクリニック院長
内科医。高知大学附属病院、細木病院、一般社団法人高知医療再生機構に勤務後、ハイズ株式会社でコンサルタントを経て、現職。「根源的な生きづらさを抱える人に寄り添うこと」をライフワークとし、生きづらさを抱えた人がもつ根源的な「痛み」や、そこから人生を回復させていく鮮やかな様子をみて、感じたことをSNSに投稿したり、文章にしたりしている。
(写真=iStock.com)
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