品行方正な「よい子」の呪い

冒頭に紹介した方のように、誰に対しても優しく品行方正な「よい子」であろうとする人がいます。そうした人は、子どものときに、自分本来の感情を素直に表現したり、その感情を受容されたりした経験に乏しいという共通点があります。自分よりも、自分を評価する「誰か」(多くの場合は親)の感情を優先する癖がついているのです。その「誰か」の感情を先回りして感じ、その人にとってのベストな反応を得られるような感情だけを選び取り、自分が本当に感じていた感情は心の奥底に封印してしまいます。

誰からも褒められる「よい子」を演じれば、ひとときの承認を得ることはできます。でも、それは、自分のリアルな心根の部分を承認されているわけではないため、すぐにまた「誰かに褒められる何か」をしていないと不安になってしまいます。

自分だけの「好き」に浸る

他人の感情を優先する生き方から抜け出すきっかけの一つになるのが、誰にも遠慮をしない、自分だけの「好き」を見つけて追求することです。

ある知人は、これまでずっと「よい子」を演じすぎて、信頼されてしまったことで面倒事をすべて引き受けてしまい、行き詰まっていました。家族の目を盗んでカウンセリングに通うほどに追い詰められていた状況を脱出するきっかけが、「スプラトゥーン」というゲームにハマったことでした。

また、別のある人からは、なんとなく「生きたくないな」と感じていた中で、お気に入りのバンドを見つけて、そのライブに一人で行ったときに、なぜだか分からないけど涙を流すほど癒やされたという話を聴きました。

おそらくその「好き」は、他の誰かのためではない、自分だけに向けられた感情だったのだろうと思います。その感情に浸れることは、普段誰かのための感情を優先している人にとってはとても尊く得難い経験であり、自己の存在を肯定するきっかけとなる根源的な癒やしにつながるものです。