「生きづらさ」を抱える人が増える背景

「人は、自分の物語にすがりついて生きている」

これは、臨床心理学者の高垣忠一郎先生の言葉です。すがりつくべき物語がなければ、ひとは生きていくことができません。たとえ、それが不幸の物語であったとしても、その人が生きていくためには必要なのです。

いま、生きづらさを抱える人が増えている背景には、これまで信じられてきた「幸福へ続く物語」が、徐々に誰にでも当てはまらなくなってきたことが挙げられます。すこし昔であれば、「いつかはクラウン」とか、「郊外にマイホームを買って、大型犬を飼う」のような、幸せのモデルになるような明確なサクセスストーリーがあって、その物語に乗っかっていれば、誰もが幸せなれると信じられていました。

しかし、事態はそう単純ではなかったのです。経済学者R.フランクは、所得や社会的地位、家や車など、他人との比較優位によって成立する価値によって得られる幸福感の持続時間はとても短いことを明らかにしました。つまり、サクセスストーリーの先にある「サクセス」は、われわれに永続的な幸せを与えてくれるものではなかったのです。

そうした時代背景の中で、「幸せに生きる」ためにはどうしたらいいか。いま私が暫定的に定義している「幸せな状態」とは、「自分が紡いだ自分の物語に、自ら疑念や欺瞞を抱くことなく、心から納得し、その物語に全力でコミットできていること」ではないかと思っています。死ぬまですがりつくことができるような「自分の物語」を生きることができたら、それはとても幸運なことです。

他人の“イケてる生きざま”が目に入る社会

しかしながら、現代の社会で「自分の物語」を生きることは、かなり困難なことだと感じています。人間が取得できる情報量は増え、知性はどんどん向上していくため、自分をだますことがどんどん難しくなっているからです。

偶然目にしてしまった情報や、誰かのちょっとした一言をきっかけに、それまで全力でコミットできていた物語に、まったくハマれなくなってしまう事態がありうる。他人の幸せそうな「物語」がSNSなどで流れてくるようになり、みんなが自分の人生の物語を疑う機会が増えました。「自分探し」がこれほど必要とされているのは、自分固有の物語を見つけることが困難を極めていることの証左でしょう。他者の否定や自己批判に耐えうるストーリーはどう構築していけばいいのでしょうか。

「それでも、私はこう生きています」と自分の言葉で言えるようになれば、少なくとも不幸な人生ではないだろうと思います。それをどうつくりあげていくかは、各個人が人生レベルで取り組むべき難題で、簡単に語れるものではありません。

ただ、少なくとも「人生をレースに見立て、それに勝ち続ける物語」は、一生すがりつくには非常に脆弱であろうと思います。なぜなら、人は永遠に競争に勝ち続けることはできないからです。一生のうちに必ず弱者の側に回る瞬間があります。

「力が強い」「頭がいい」「お金持ちである」「一流企業」「名誉がある」「容姿が美しい」、こうしたものは、競争の世界の中で明確に「よいもの」とされている価値です。これらを望むことは良いこととされ、掴むことができれば多くの人から称賛されます。しかし、これらを自分の物語の中心に据えてしまうと、失ったときに身を寄せるものがなくなってしまいます。競争的な価値観から適度に距離を置くことは、自分本来の物語をつくる上でとても重要だと感じています。