社会が豊かになると「生きる意味」を見失う

過去、人間は常に生存の危機とともにありました。戦争、飢餓、病気、差別など、その生命を全うできない危険性がある環境においては、動物的な生存本能が発揮されやすく、生きることそのものが目的たりえました。しかし、社会が豊かになり、命の危険がないことが当たり前になってくると、「生きること」それ自体の意味を見つけることは難しくなります。

哲学者バートランド・ラッセルは、「人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になる」と主張しました。

社会が豊かということは、人が人生を賭して埋めるべき大きな「穴」が無い状態です。たとえば「国家」とか、「社会」とか、これをより良くすることに自分の人生をささげようと思えるような、「大義」が見つかりにくくなるのです。そうなると、自らが生きるモチベーションは自分で見つけるしかありません。

「自分の物語化」が必要な時代

そこで必要になるのが「自分の物語化」です。自分の物語化とは、これまでの人生で連綿と起こってきた出来事に対して、自分なりの解釈をつけていくことです。例えば、大切な人と死別し、悲しみでやりきれなくなってしまったとしても、「この喪失の経験から得たものを、誰か他の人の役に立てよう」と思うことができれば、また前に進めます。

起こった出来事に対して、主観的に自分が納得できるような意味付けをしていくことで、挫折から前向きに立ち直ったり、成功体験を自信に変えたりすることができます。そうした「自分を編集するような作業」の中で、自分の生き方に物語性を見いだせれば、当面の生きる意味を得ることができ、生きやすくなれるのです。

自分の物語に納得することは、自己を肯定することとほぼ同義です。ありのままの自分の人生を「これでいい」と肯定できないと、自分以外の誰かの軸で生きざるをえない。自分の物語をつくるということは、自己肯定感の問題の中核にあると考えています。