3選論が台頭したのは「安倍マリオ」あたりだった

乱暴な議論のように聞こえるかもしれない。しかし2015年、安倍氏が無投票で再選を果たした時、党則で3選は禁じられていた。この段階では、安倍氏は2018年、つまり今年9月に首相から退くことが党則で決まっていた。

3選できるようにしようという機運が高まり始めたのは、翌2016年の夏ごろ。2020年の東京五輪を「安倍首相」で迎えようという意見とともに党則改正論が台頭した。

2016年8月、リオデジャネイロ五輪の閉会式で、安倍氏が「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに扮して出席した時、感想を求められた二階俊博幹事長が「(3選の)意欲がなければリオには行かないだろう」と語ったあたりから流れができた。同年秋から党内で党則改定の議論が始まり、翌年3月の党大会で正式決定した。

3選を可能にする党則の変更は、安倍氏のためとしか言いようがない。究極の我田引水といえるルール改正だった。

当然、石破茂氏、岸田文雄氏ら「次」を狙う議員の周辺からは「なぜ今なのか」と異論も出たが、それほど大きな声にならなかった。あまり反対論を唱えると、逆に安倍氏を封じ込めて自分が総裁になりやすくしようとしていると思われるのを気にしたのだ。

2016年にもあった「多選制限撤廃」案

当時の党内の議論で、注目すべきことがある。議論が始まった時から3選に道を開くことでは大筋固まっていたのだが、具体的な方法として2案あったのだ。

1つ目は「連続3期9年」まで可能にする案。もう1つは「多選制限撤廃」案。つまり3期にとどまらず4期でも5期でも無制限でできるようにする案だ。

最終的には党の議論をリードした高村正彦氏の持論である「3期9年」で落ち着いたのだが、「多選制限撤廃」は2年前の議論でも有力な案の1つだった。再燃する素地は十分ある。

安倍氏は3選された後、さかんに「残る3年」という言葉を繰り返す。4選など全く想定していないことを強調しているように聞こえる。実際、安倍氏は現段階で4選を基軸に考えているわけではないだろう。

ただ、忖度する周辺が4選の機運を高めていった時、どう考えるか。その時の政治情勢も勘案しながら、2年前のように、野心を抱き始めることもあるだろう。