住民票を異動し忘れ、投票権も行使できず

古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)

「明治時代で学校教育が終わる」ことを理由に、白紙の、イノセントな状態で成人を迎えるのでたやすく「自虐史観」に洗脳される──。幸いにして「本当の歴史」「本当の日本」を知ることができたという彼女たちは、明治以降の正しき歴史を教えるべきだと息巻く。

が、この手の人士は、「学校教育で教わった」はずの明治以前の歴史には、はてどれだけ忠実だったのだろうか。律令国家や荘園公領制は学校教育で必ずやるが、そういった日本中世の史実にはどれだけの造詣があるのか。たぶんないと思う。

こんな程度の世界観しか持ち得ないから、丸川は2007年の参院選で住民票を異動し忘れ、自らの投票権も行使できない(自分で自分に1票を入れる事すらできない)ていたらくなのだ。この分だと、それ以前の国政選挙も本当に行っていたのかどうか疑いたくなる。一事が万事、政治的素養や意識のかけらも存在していない。

知的怠惰を他者のせいにするべきではない

教育で教わっても、教わっていなくとも、人間は対象物に能動的な興味がなければスポンジから落ちる水のように、そのことを忘却していく。校長先生の「ありがたいお話」を私たちが後年、まったく再生できないのと同じである。

だからもしイノセントゆえに「自虐史観」が形成されたとするのならば本人の怠惰であり教育のせいではない。逆に「自虐史観」が教育によって形成されたのならば本人の従順に問題があり、これもまた教育のせいではない。山谷(えり子参院議員)のようにそれを日教組の責任に繋げていくのは身勝手な理屈である。

丸川は「自虐史観」を日教組の洗脳ではなく、教育によるイノセントな状態に求めているようだが、どちらにせよ教育にすべての責任があるという点で同じであり、自分がわずか数百円の近現代史における歴史の新書一冊すら、買い求めて読まなかった知的怠惰を他者のせいにするべきではない。