「地続き」であるという錯覚が愛着を高める

登場人物に語りかけられた観客は、作品世界と自分の世界が「地続き」であるという錯覚をもちます。文字通り作品と観客の間の「壁」が取り払われ、対象への親近感が高まるとともに、愛着が強まるのです。

『デッドプール2』の宣伝ポスター

このことは、ここ数年でアーティストとファンのつながり方が大きく変わったことと似ています。かつてアーティストは“雲の上の人”でしたが、SNSの登場により、直接つながれるようになりました。それは、アーティストの生きる世界と自分の世界が「地続き」であるという錯覚をもたらします。

また、CDやDVDの不振を補うため、音楽業界やアニメ業界は、握手会やライブなどファンを集めるリアルイベントに力を入れています。これも「地続き」感の演出です。愛するアーティストや作品が自分の生きる世界とつながっている、同じ場で同じ空気を吸っているという幸福な実感。そこにファンはお金を払います。

現在20代以下の若年層の多くは、10代前半からスマホを介してSNSに触れており、この喜びをよく知っています。つまり若年層ほど「第四の壁の破壊」を受け入れやすいわけです。

「日常からの離脱」より「日常の拡張」を求める観客

もちろん、舞台・スクリーン・テレビの“向こう側の存在”は尊いものであり、観客が容易に関与できる存在であってはならない、という考えの人もいます。そういう人は登場人物が語りかけてくると興ざめするでしょう。

「第四の壁の破壊」を望まない人たちが映画に求めるのは、いわば「日常からの離脱」です。一方、「第四の壁の破壊」を積極的に楽しめる人たちは、映画に対して「日常との接続」もしくは「日常の拡張」を求めているのではないでしょうか。彼らにとって映画とは、つらい現実世界から逃避するための閉じた箱庭ではありません。つらい現実に接続することで現実がおもしろくなる、優秀な機能拡張ツールなのです。

映画の本質を「閉じた箱庭」とするか「現実の機能拡張ツール」とするかは人それぞれであり、そこに貴賤はありません。ただ前者より後者のほうが、エンタテインメントに対峙するスタンスとしては、より現代的だとは言えるでしょう。

『デッドプール2』が若者層に受け入れられた理由は、本作がきわめて現代的なエンタテインメントの形を体現しているからではないでしょうか。

稲田 豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター
1974年、愛知県生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。編著に『ヤンキーマンガガイドブック』(DU BOOKS)、編集担当書籍に『押井言論 2012-2015』(押井守・著、サイゾー)など。
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