池上彰さんとの対談で語ったこと
吉永小百合は悲劇の女優である。
彼女の120本目の出演作品になる『北の桜守』(滝田洋二郎監督)を見ながら、何度も流れる涙をぬぐった。
映画に感動したのではない。凡庸な映画である。樺太で終戦を迎えた小百合たち一家が、ソ連軍の侵攻に追われて命からがら北海道・網走へとたどり着き、次男と2人で戦後を生き抜いていく物語である。
ソ連軍に怯(おび)える彼らの状況は劇中劇で暗示される。残念ながら、あの時代の樺太からの引揚者たちが味わった筆舌に尽くしがたい苦難と、そこで起きた悲惨な出来事を描くことには成功していない。
小百合は池上彰との対談(『PRESIDENT』3月19日号)で、「大変な悲劇だったので、実写で撮るのはちょっとつら過ぎるのではないか」、舞台という形で抽象的に描いたらどうかという案が出て、そうなったといっているが、あの時代を知る者がごくわずかになった現在、どのように描けば知らない者たちの心を揺り動かすかについて、もっと工夫があってほしかった。
毎日1キロの水泳と100回の腹筋をこなす理由
冒頭、小百合たちが扮する江連家の庭にある一本の桜の木に花が咲き、夫の阿部寛と妻の小百合、2人の子どもがそれを見て喜ぶシーンがある。
だが、今のカメラは残酷なまでに微細なところまでを映し出す。化粧でごまかしても、弟とその孫たちとおバアちゃんにしか見えないのだが、むしろ実年齢に近い年になってからのほうが若く見える。
毎日、1キロを泳ぎ、高倉健に教えられた腹筋100回に加えて、最近ではジムで筋トレまでこなすというトレーニングのおかげで、40代の石田ゆり子真っ青の姿勢の良さや、肌の艶である。
小百合の息子を演じる堺雅人についていえば、どんな役をやっても、歩き方やしゃべり方が、彼の当たり役である半沢直樹になってしまうのがおかしい。
肩の力を抜いた小百合と、しゃっちょこばった堺。出番は少ないが佐藤浩市の存在感がダレそうになる後半を引き締めている。
彼女ほど人に恵まれなかった女優は珍しい
私は映画を見ながら、ストーリーとは別に、吉永小百合という女優の幸薄かった73年の人生を振り返って、涙が止まらなかった。
彼女ほど、作品に恵まれず、監督に恵まれず、父母にも、恋人にも、亭主にも恵まれなかった女優は珍しいと思う。
120本もの作品に出ていながら、いまだに彼女の代表作は『キューポラのある街』(昭和37年公開・浦山桐郎監督、以下『キューポラ』)しかなく、もう一本挙げるとすれば『夢千代日記』(昭和56年)だろうが、これはNHKのテレビドラマである(映画化したが失敗だと思う)。