「結局、ずっと、基本はアマチュアなんですね」

だが、彼女も清純派スターから女優への踊り場でもがき苦しんだ。

2人の夫を殺し、戦後、唯1人の女死刑囚として処刑された女を演じた『天国の駅 HEAVEN STATION』(1984年)は、彼女にしては珍しいSEXシーンのある映画で、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を受賞しているが、残念ながら、ここでも女の業の激しさを十二分に演じ切れてはいない。

『愛と死をみつめて』で共演した笠智衆が好きだといっている。「笠さんのように、せりふがなくても、たとえ背中だけでもいろんなことが表現できるような俳優に究極的にはなりたい、と思っているんです」

笠が小津安二郎の代表作『東京物語』で15歳年上の東山千栄子と見事な夫婦役を演じたのは49歳の時である。

だが、彼女は日本を代表する大女優ではあるが、名女優だといわれることはない。岸恵子のように、多くの男のうわさを振りまきながら華やかに生きる女優にもなれない。田中絹代の半生を描いた『映画女優』を小百合が演じた年に、原節子は引退している。

『キューポラ』のように貧しくてもたくましく生きる女性や、今回の映画ように、耐え忍ぶ日本の女の理想像を演じることはできても、これがあの小百合かと観る者を仰天させるような役はやって来なかったし、これからもやらないであろう。

彼女は『八月の鯨』をやってみたいといっている。アメリカの小さな島で暮らす老姉妹の夏の日々を淡々と描いた傑作だが、撮影当時、リリアン・ギッシュは93歳、ベティ・デイヴィスは79歳だった。

だが、小百合に、自分の老いと醜さを画面に晒(さら)すことができるのだろうか。

彼女自らがいっているように、「結局、ずっと、基本はアマチュアなんですね。仕事をしているうちに、映画がものすごく好きになって、いい意味では一つ一つの作品で新鮮に仕事をやれているんですが、悪い意味で言えば、なんかアマチュアだなあと自分でも思うところが結構あるんです」

偉大なるアマチュアが悪いとはいわないが、彼女の渾身の鬼気迫る演技を見てみたいと思うのは、無いものねだりなのだろうか。

いまだアイドルから脱せない「悲劇の大女優」

『北の桜守』を見ていて、こう考えた。

彼女はどこかの時点で、自分は、田中絹代にも原節子にも岸恵子にもなれなかったが、死ぬまで十代の若さと美しさを保ち続け、清純派スターとして一生を終えた女優として名を遺(のこ)そう、そう心に決めたのではないだろうか。

そうでなければ、あのようにハードなトレーニングを日々続けられないはずだと思う。

いまだアイドルから脱することができない「悲劇の大女優」の姿は、戦後の日本がたどってきた「大人になれない国」と二重写しになり、なおさら哀れを誘うのである。

だが、それを逆から見れば、私の様な老いさらばえ後期高齢者間近のオールド・サユリストにとって、これ以上ない贈り物なのである。

映画館に入ってスクリーンの彼女を見つめれば、いつでも青春時代の自分に戻ることができる。

80代、90代になっても青春スターでいられる稀有な女優なのだ。願わくば、モンペや割烹着ではなく、セーラー服で画面の中を走り回ってほしいものだ。『キューポラ』の石黒ジュンのように。