選挙前にも大連立を組んでいた両党の敗北の原因が、メルケルの難民政策だったことは明らかだ。EUの女帝といわれ、ドイツ国内でも向かうところ敵なしだったはずのメルケルの威力は、意外なほど脆(もろ)かった。なのに、彼女は選挙の翌日、「これから何を変えればよいのかわからない」と言い放った。
首相の座で12年、彼女は現実感を失ってしまっていた。国民の不安や悩みがわかっていない……。このときが、メルケルの終焉(しゅうえん)が垣間見えた最初の瞬間だったと私は思っている。
ただ、だからといって、さっさと権力の入れ替えが行われるかというと、そう簡単にもいかない。メルケルの権力維持は巧みだった。過去12年のあいだに、何人ものライバルが静かに、あるいは爆音とともに消え去り、CDUにはいま、首相後継者の候補者さえいない。
2月末に突然、アンネグレート・クランプ-カレンバウアーという55歳の女性がCDUの新書記長に抜擢(ばってき)されたが、彼女が4年後にメルケルの後任になるかといえば、みな、まだ半信半疑。CDUの人事刷新は、既存の構造が錆(さ)びついてしまったように動かず、ただギシギシいうだけだ。だから結局、しばらくはメルケルにすがりつき、これ以上の崩壊を防ぐしかないという考えが、党内に蔓延(まんえん)している。
いまのドイツ社会は、とても息苦しい
メルケル政権下の12年間の後半で、ドイツ社会は変貌した。2010年10月、当時のヴルフ独大統領が「イスラムはドイツの一部だ」といったとき、それに対する賛否両論が飛び交い、国内で大きな論争となった。
しかし2015年、メルケルが独断で、議会の承認もなくドイツの国境を開き、一気に100万人近くの人々が流れ込んだときには、イスラムについての議論はすでにタブーになっていた。パリやブリュッセルで、難民としてEUに入ったアラブ人によるテロが起こり、ドイツのケルンでは、2015年の大晦日(おおみそか)に難民による大量婦女暴行事件が起こった。さらにその1年後、ベルリンのクリスマスマーケットにトラックが突っ込んで多数の死傷者が出た。しかしいまのドイツでは、テロと難民の相関性はもちろん、難民受け入れの方法を論じることさえできない。