相次ぐ難題に「正々堂々」対処

大変だったのは、決算作業をする部下たちだ。02年9月末の中間決算に始まり、持ち株会社設立に伴う仮決算、03年2月のSMBCからSMFGへの営業分割に伴う仮決算、3月のわかしお銀行との合併に伴う仮決算、3月末の年度決算と、半年に5回もこなした。作業は膨大で、電算システムも年2回の決算にしか対応していないから、それ以外の時期についてはデータを手作業で集計した。

増員は数人だけで、総勢で約50人。危機感を共有していたから、チームワークは揺るがない。週末も出勤し、自分も当時の本部だった東京・日比谷のビルに、土日も顔を出す。当時の部下たちが「あんなに厳しい状況下でも、国部さんは1度も『大丈夫か?』とは、声をかけてこなかった」と言っているが、当然だ。

確かに、実質国有化となれば、経営の自由度は損なわれる。でも、常に最悪の場合に備えるが、すべての可能性を吟味し、やるべきことをやったら「後はどうにかなる。道は必ず開ける」と割り切る主義だ。よく「正々堂々が好き」と口にするが、このときの経験と無縁ではない。相次ぐ難題を、頭取と専務は正面から受け止めていた。その姿をみて、「正々堂々」という構えが身に付いた、と思う。

「三人行、必有我師焉」(三人行けば、必ず我が師有り)――3人で道をいく、あるいは行動をともにすると、他の2人のいずれかに教えられることが必ずある、との意味だ。孔子の『論語』にある言葉で、優れた人からいい点を吸収し、おかしな点は反面教師とするように説く。頭取と専務の「3人チーム」で、学びながら難局を克服した国部流と重なる。

チームワークと言えば、40代半ばの北九州支店長時代も、大切にした。支店長になることは、銀行に入ったときからの夢だった。生意気な言い方になるが、「企業を育てて成長を手伝う」ことがしたかった。北九州では企画畑の支店長は例が少なく、みんな、当初は様子見だった。ときに「3人チーム」のあとの2人、つまり本部の偉い人から電話も入るので「謎の人」とまで言われていた。

そこで、部下たちには「もう預金を競って集める時代ではない。収益重視で、いい融資先を増やそうよ」と前向きな話を呼びかけ、女子行員やパートの女性にも、よく声をかけた。子育てが終わっていたパートの女性も含め、女性陣とカラオケにもいく。最も気をつけたのが、事務上のミスでお客に迷惑をかけることで、防ぐには、内部の連携が不可欠だ。だから、一体感を築くことに、心を砕く。すると、次第に会話が増え、家族のことや就職時の思いなども遠慮なく質問されるようになる。

2011年4月に頭取になり、収益の柱の1つに掲げた国際戦略では、成長余地の大きいアジアを重視する。就任4年目を迎えたときに描いた「10年後にこういう銀行グループでありたい」とのビジョンでは、過去の数字から積み上げるのではなく、「3人チーム」時代の専務に教わった「トレンドをみる」を重視した。例えば、少子高齢化や世界的な資金余剰、あるいは中間層がどんどん増えるアジアとの、向き合い方だ。

この4月に持ち株会社の社長に就くまで、頭取時代の6年間、3カ月ごとの決算が終わったときや何かの節目に、すべての行員にメールを送ってきた。ビジョンで描いた姿を実現するのは、あくまで全行員だ。メールには、しばしば「チームワーク」との言葉が登場した。1人でできることは、限られる。だから、連携を深め、たゆまぬ向上心を磨き合う。自らの経験に重ね、仲間と歩めば「必有我師焉」だよと、呼びかけた。

三井住友フィナンシャルグループ 社長 国部 毅(くにべ・たけし)
1954年、和歌山県生まれ。76年東京大学経済学部卒業後、住友銀行入行。2002年三井住友銀行財務企画部長、06年常務執行役員、07年三井住友フィナンシャルグループ常務執行役員、09年三井住友銀行専務執行役員、11年頭取。17年4月より現職。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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