組織の「横糸」を、どうつむぐか

入社以来、化学製品の営業ひと筋だった。四十代も、そのなかで迎えた。ところが、1992年7月、名古屋支店の営業の課長から本社の経営企画部課長へ、異動の辞令が出る。四十一歳での大転進で、驚いた。ビジネスパーソンには、1つの人事が、思いもしなかった道へ進ませることがある。

デンカ 会長 吉高紳介

国内の化学業界は80年代後半、「量産型の塩化ビニルや汎用の石油化学製品では、もう成長はできない」として、少量で付加価値の高いファインケミカル分野へ、投資した。とくに電子材料や医薬の分野へ、集中する。バブル経済が膨張した時代で、「新素材」という言葉も、躍った。

電気化学工業(現・デンカ)も、研究所でものにした磁気ディスク事業を「強み」にしようと、数百億円と500人を投じ、塩ビから撤退した群馬県・渋川の工場で生産を始めた。だが、技術革新の速度は、予想を超える。巨額の資金をかけても、設備を入れて稼働させるときには、もう次の投資の準備をしなければならない。

それなのに、化学の10社ほどが磁気ディスクに参入した。バブルが崩壊へ向かうとき、内々に「撤退すべし」との声も出る。でも、そんな話は、営業の前線に届かない。経営企画部へ着任し、撤退論もあることを知る。撤退に備え、事務局長役に呼ばれた形だった。

だが、着任後も首脳陣から「こうした投資をやらなければいけない」との話が続き、撤退は決まらない。その間、切実に感じたことが2つあり、社長となって経営責任を担ったときの軸となる。1つは、経営判断のあるべき進め方、いまで言うコーポレートガバナンスの重要性。もう1つは、社内の組織を連携させ、チェック機能も持たせる「横糸」の必要性だ。

当時は社長が「こういう事業をやる」と言えば、事業部門が「縦糸」で進めた。推進力は強いが、将来性を精査する「横糸」がないと、暴走する危険性もある。それで失敗しても、右肩上がりの時代は、吸収できたのだろう。

それでも、「このままではおかしい」と言う役員が出て、93年7月に生産を停止。中心になって動いたのは、担当役員や上司の室長だが、事務局長役なりに苦労が続き、学んだことも多い。

新潟県糸魚川市の青海工場。ときに雪が舞う街は、1年余り前に大火に襲われた。工場は延焼を免れたが、従業員の親族や知人に被災者もいる。復興支援も、主力工場の大きな任務だ。