「覇権主義には陥らない」を決意
「他社がやるなら、うちもやろう」――日本企業は長らく横並びの行動を重ね、狭い国内市場で過当競争を続けた。右肩上がりの時代はそれでも転ばずにすんだが、バブル経済がはじけたとき、様変わりしていた環境に、行く手を遮られる。世界の市場から国境が消えるグローバル化と、デジタル化に代表される技術革新の速さが、競争条件を一変させていた。
多くの産業で「失われた10年」に突入する。でも、そこで「時代の変化に合わせ、自らも変わろう」と覚醒した企業は、横並びで何でも手がける「総合企業」から、独自技術で得意分野を深掘りする「スペシャリティー企業」へと針路を定め、展望を開く。電気化学工業(現・デンカ)で四十代後半、その舵取り役を務めた。
1998年12月、電化は新日鉄化学(現・新日鉄住金化学)、ダイセル化学工業(現・ダイセル)と3社で、ポリスチレン樹脂事業を切り出し合い、東洋スチレンを設立した。ポリスチレンは供給過剰の状態が続き、各社とも収益が悪化していたため、設備を集約して生産量を調節する狙いだ。その年の1月に経営企画室の部長に就き、統合交渉を主導する。
ポリエステルは電化の主力事業の1つで、生産設備の能力は年23万7千トン。新日鉄化学は18万6千トン、ダイセルは5万3千トンだから、交渉を主導するのは自然な流れ。ただ、どの工場の設備を止めるかは、簡単に決まらない。新設する合弁会社の出資比率も、難しい。相手に「電化が、自社に有利な案を押し付けるのではないか」との警戒感が強く、社内からは「負けるなよ」との声が飛ぶ。
でも、どちらの空気にも、流されない。まとめた決着案は、3社の面々を、それぞれに驚かせた。設備を休止するのは、電化の工場だけ。それで、合わせた生産能力の2割強を減らす。新会社の出資比率は電化が50%、新日鉄化学が35%、ダイセルが15%。電化は過半数を持たず、自社だけですべてを決められない。新日鉄化学は3分の1強を持ち、事業の見直しなど定款の変更に拒否権を持つ。
電化にとっての課題は、価格を含めた販売条件の悪さで、それをもたらすのが過剰設備。だから、そこを落とすのは、合理的だ。出資比率も、実際の販売量の比率に近く、「実力」に沿っていた。
ただ、みた目には、そう映らない。相手の2社は「よく、そこまで譲ったな」と受け止め、電化では「完敗ではないか」との声が出る。だが、3年前の別の事業統合の際の体験で、「自社のほうが設備の規模が大きくても、覇権主義には陥らない」と決めていた。担当の専務も社長も、この姿勢に頷いた。統合チームが共有したキーワードも、「互恵互譲」だった。