「誰に、何を、どのように」

1997年3月から約1年、大阪駅に隣接する大丸梅田店で毎日、朝会を終えると、婦人雑貨が置いてある地下1階と地上の1階、3階を回り、子供服売り場がある8階へ上がった。担当者に「おはよう」と声をかけ、売り場の様子を頭に刻んでいく。最後は催事場のある13階。同店の婦人雑貨子供服部長、46歳になった年だ。

J.フロント リテイリング 社長 山本良一

梅田店は「質の高いライフスタイルを提案する」という新しいコンセプトで83年4月に開業し、係長時代に準備段階から参加した。従来店と違い、各階は少し狭いけど、売り場が13階まであった縦長構造。世界でも珍しい多層階店で、お客に上の階まで足を運んでもらうため、工夫をこらしていた。

昼食後は、上の階から下りながら再び管轄の売り場を巡り、1人ずつ「どうや?」と尋ねていく。課長級のマネジャーが数人いて報告はくるが、「これくらいは、たいしたことはない」と、途中で止まってしまうものもある。現場で聞くと、いろいろな課題がみえてくるし、放置してはいけない問題もみつかる。

例えば「在庫を置く場所が足りず、困っている」「靴の倉庫が小さくて、ブーツがきたら入りきれない」など、売り上げを伸ばすには、現場にとって切実な問題もある。ブーツには、倉庫を確保し、分散して売り場に入れる仕組みをつくってあげた。マネジャーたちを信頼しないわけではないが、報告が実情を反映しているか、自分で検証した。現場の生の声の把握と迅速な対応、それが小売業の基本だ、と確信していた。

梅田店の開設準備は、開業の1年半前に始まった。チームに呼ばれ、入社後に神戸店で手がけた家庭用品の準備を受け持つ。斬新な店づくりは刺激的だったが、心斎橋に旗艦店を持ちながら、そう遠くない地にもう1つ大きな店をつくるという、社運を賭けたプロジェクト。担当役員は京都支店長の経験を持ち、お客への対応が悪いと叱りつけ、「鬼」の異名を持つ専務だ。チームの面々に「各階や売り場のコンセプトを、明確に書いて出せ」との指示が飛ぶ。

風通しのいい会社だから、自由に提案させてくれた。ただ、店の統一コンセプトに少しでも合致しないと差し戻し。「どういう客層に、どういう提案をしていくか」を考え抜くことを、迫られた。お客の本当のニーズに近づいて、最大の満足を得てもらうことを追求しろ、との命題だ。この視点は、いまの大丸松坂屋の基本にもなっている。基本に沿えば、やるべきことは、自然に決まっていく。