73年4月に大丸に入社。神戸店の家庭用品部に配属され、和洋の食器を担当する。だが、売り場へいくと、大学で学んだマーチャンダイジング(商品化計画)などはない。当時の仕入れは完全買い取り制で、返品はできず、売値は公式価格のように決まっていて、勝手に安売りにも出せない。業界ではどこもそうだから、先輩たちも当然のように思っていて、在庫の管理もほとんどしていない。

仕入れも、売り上げデータに基づくのではなく、「KKD」と呼んだ経験と勘と度胸で、「これが売れているな」「これはあかん」という具合に、補充していた。それでは、売れ方の法則性や売れるものの特性もわからない。

驚いて、売り場にある約500種の商品のリストをつくり、1週間ごとに棚卸しをして、動きをみた。まだPOS(販売時点情報管理)システムがなく、使えるのはそろばんか電卓。周囲から「変なやつだ」とみられたが、そうやって単品ごとの管理を徹底する。

すると、1品ごとの売れ方がわかり、法則性もみえてきた。ほぼ毎日1つ売れる商品があり、1週間に1点だけの品も、3日に1点の品もある。そういう品が、毎日売れるようにはならない。当然、売れるものは在庫を持ち、売れないものは仕入れを減らす。いわば「山本流POS」。お客の本当のニーズに近づいて、最大の満足を得てもらうという基本は、ここで始まった。自由にやらせてくれる社風は、貴重だ。「本立而道生」も、その社風を先輩たちが守ってきてくれたから、貫けた。

2003年5月、社長兼最高執行責任者(COO)に就任。グループの百貨店事業本部長も兼ね、就任前に5年間、先頭に立った営業改革も続行。「百貨店はすべて対面販売でいくべきか、必ずしもそうではないだろう。お客は、そこまでは求めていないのではないか」と問いかけ、人員配置を「最少かつ十分に」へと見直す。消費者の行動の変化に応じた新たな試みだ。でも、基本は変わらない。

07年9月に松坂屋との経営統合でできた持ち株会社のJ.フロント リテイリングと松坂屋の取締役を兼務すると、その基本を松坂屋にも植えつけていく。合併で誕生した大丸松坂屋百貨店の社長、持ち株会社の社長と最高責任者へ上り詰めても、貫いている。

J.フロント リテイリング 社長 山本良一(やまもと・りょういち)
1951年、神奈川県生まれ。73年明治大学商学部卒業後、大丸入社。2003年5月社長兼最高執行責任者兼グループ本社百貨店事業本部長、07年J.フロント リテイリング取締役。10年大丸松坂屋百貨店社長、13年4月より現職。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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