前身の電化は1915年、石灰石からとるカーバイドと化学肥料のメーカーとして、三井系の出資で設立された。6年後、青海の山中に水力発電所をつくり、工場を開く。背後にそびえる黒姫山は、すべて、石灰石でできている。

カーバイドの生産には大量の電気が必要で、近くを流れる姫川の上流に水力発電所もつくった。祖父は、その建設に参加した電気技術者だ。勾配が急で、川から水を引き、配管の中を落としてタービンを回す流れ込み式で、ダムは不要。いま10カ所あり、北陸電力と共同でつくった5カ所と合わせ、必要電力の3割を確保する。だから原油価格高騰の影響は小さく、石化製品よりも競争力を持つ。

経営企画室では、バブル崩壊で経営環境の厳しさが増し、他の事業の構造改革も続き、まとめ役は終わらない。93年秋には希望退職を募り、人事部と必要な経費を捻出する経理部との「横糸」も、動き出す。縮小・外出し・撤退が必要な事業と強化すべき事業を仕分ける「選択と集中」も、進めた。後編で触れる塩化ビニルやスチレンといった主力事業を切り出し、競争相手と合弁会社をつくる構想も、このときに下絵を描く。

「長期病欠」で、学び得たこと

四十三歳のとき、心臓に病気がみつかり、入院して手術した。約2カ月、仕事を休む。初めての長期欠勤で「大変なことになった。サラリーマン人生も、これで終わりか」と、暗くなりがちになる。ところが、病気欠勤の経験がある先輩が電話をくれて、「気にするな、俺も病気で休んだ。ちゃんと治して出てこい」と励ましてくれた。お蔭で「よし、また頑張るぞ」と、気持ちが切り替わる。

ある程度は命にも関わる状況だったので、人生観も変わる。そんなことは話さないから、当時の職場の人以外は、ほぼ知らない。その後、役職が上がって組織内をみると、丈夫な人だけが集まっているわけではないから、似た状況になる人がけっこういる。そんなときは、「俺にもあった。お前も、ちゃんと治してこい」と言う。そうやって再出発になったほうが、いい仕事をする例もある。

「有徳慧術知者、恒存乎疢疾」(徳慧術知有る者は、恒に疢疾に存す)――徳慧は立派な人格や賢さ、術知は素晴らしい才能、疢疾は艱難のことで、立派な人格と才能を持った人は、困難や苦労のなかで育って磨かれる、との意味だ。中国の古典『孟子』にある言葉で、事業の撤退や希望退職の募集など苦労や大病が続くなか、経営の要諦を身に付け、軸としていった吉高流は、この教えと重なる。