団塊の世代がすべて75歳以上となる2025年で、後期高齢者一人に対して生産年齢人口はわずか3.3人となる(15年は4.6人、国立社会保障・人口問題研究所『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』(2017年推計))。家族構成で見てもすでに、75歳以上世帯においては、単独または夫婦のみ世帯の数が、なんと7割弱にも達すると見られている(同2013年3月推計)。すなわち、今後の「超高齢社会」においては、家族の介護負担は望めず、かつ、サービスを提供する人員すらいないことが「普通」の状態になっていくのである。

となれば、「畳の上で家族に見守られながら死ぬ」というこれまでの理想を体現できる人は、将来的に非常にまれになる。私たちは今までの常識や暗黙の了解を超え、個人としても社会としても「孤独死」を受け入れていく備えを、今からはじめる必要があるのだ。

一人で尊厳ある死を迎えるために

一人で死を迎えることは「かわいそう」でも「悲惨」でもなく、ましてや「問題」などではない。介護事業者のコンサルティングを通して、現場を垣間見た筆者の印象では、最期はいわゆる「孤独死」であったとしても、それまでその人とかかわった人たちの心には、鮮烈かつ生き生きとした人生の記録が残る。また一方で、一人の人間の死に関わる人々のうち、家族(血縁)はほんの一部の過ぎないということも深く認識した。死にいたる終末期において自分らしく納得する生き方ができた人は、死の「瞬間」がどのような状況であれ、人生を生き抜いたという意思が周囲の人たちにも伝わる。

従って、個々人は、それぞれの「自分らしく明るい」最期を求めて、考え方をまとめ、周囲に伝えていくことが重要だ。身体的に衰えや病気などでケアや治療が必要になったときに、どういう点を尊重してもらいたいかを表明することは、その典型であろう。

個人の心がけだけではなく、「明るい孤独死」を社会に定着させるためには、どのような取り組みが必要になるのだろうか。以下の5点を提案したい。

(1)介護体験、介護技術を学べる教室

「ひとりで自分らしく」暮らし続けるためには、「ある程度のところまでは自分でできる」範囲を広げるそれなりの技術(たとえば、食べ物が誤って喉頭と気管に入ってしまう誤嚥(ごえん)をしにくい食べ方、身体に負担の少ない寝返りの打ち方など)も取得できなければならない。介護現場でのケア技術を、介護を仕事にする人のためだけでなく、広く一般の人たち(子供も含む)に向けたカリキュラムとして展開することも必要だ。

(2)21世紀型「地縁」コミュニティの形成

街づくりの視点で欠かせないのが、血縁に頼らない「地縁」コミュニティの形成である。そこでは、子供から高齢者まで多世代が交流できる集いの場があると同時に、他力が必要なステージの人たちが安心して暮らせる有償サービスが「事業」、すなわち、市場ニーズを捉え、継続的に収益を上げるための活動として提供される。単なる地域のつながりや善意を前提とした自然発生的なものではなく、仕組みやシステムを事業として成立させることにより、コミュニティを継続させることを目指すべきである。

(3)終末期における金融サービスの充実

お金の管理も重要だ。保険制度、財産管理とそれに伴う個人認証システムはいずれも、「自分らしい最期」を選び取るために欠かせないサービスとなる。自分らしさを確保するためのリスク回避やサービス利用、およびそのためのコスト負担が実際問題必要となるからだ。

しかし、要介護状態、特に認知症になった場合に、自分の資産に対する意思表明をすることは難しい。そのような状況になる前から、受けたいケアや治療の種類・程度が選べる保険制度や、血縁以外で代弁者となり得る機能(人とは限らない)の整備が求められる。

(4)医療現場での治療を超えたコンサルティング機能

高齢者にとってケアや治療の選択、また、医療サービスは「治療」の概念にとどまらず、「病気と共に生きる」ためのコンサルテーション機能が大きな意味を持ってくる。コンサルテーションを担当する「かかりつけ医」が普及することで、本人が望む治療や最期のあり方が把握でき、現在非常に高額とされる終末医療は改善される可能性がある。

(5) コミュニティインフラとしてのIoTやAIの活用

一人暮らし世帯の増加と、人による見守りの限界により、今後は街そのもので見守りを行うことが求められるだろう。そこでは街の「今日」を捉え、状況判断に活用できるIoTやAIの活用領域は大きいと考えられる。