その九大が2009年、六本松から西区に移転。二度目の試練が襲った。学生、教職員計約6000人が消えてしまったのだから、商売には「ボディーブローのようにこたえた」(大島さん)。何とか持ちこたえていた飲食店もひとつ、ふたつと減っていき、窓から漏れる明かりも消えた。

閑古鳥が鳴く街に希望を与えたのが、九大跡地の再開発構想だった。2014年、2万1000平方メートルの土地をJR九州が落札、商業施設や分譲マンションなどが入る二つの複合施設を建設する方針を明らかにしたのだ。

朗報に、地元の商店主たちは「あともうちょっと、がんばろう」と励まし合ったという。それからわずか3年後、六本松は「V字回復」を果たした。

(左上)商店と人でにぎわっていた六本松の新道商店街(1975年8月撮影)(左下)往時を振り返る「光和堂」の大島達男さん(右)大島さんが持っている1965(昭和40)年の六本松周辺の地図。左下の広大な九州大の用地に比べ、そのほかの部分は住宅や店舗がぎっしり並んでいる
 

地価は急騰、転勤族も注目

回復ぶりを如実に示すのが地価だ。福岡県が発表する基準地価(7月1日時点)で、六本松421に近い商業地(中央区六本松4-9-38)は、2011、12年に1平方メートルあたり41万4000円にまで落ち込んだが、17年は59万円にまで上昇。同様に、住宅地(六本松4-5-18)も10年には20万9000円だったのが、17年には1.5倍近い30万2000円になった。

「注目も、実際のニーズも明らかに高まっている」。地元で25年前に開業した「さくら不動産」社長の田中雅将さん(64)はそう実感している。

(上)六本松にあった九州大教養部。手前は別府橋通り(1969年10月撮影)(下)取り壊される九大の校舎(2011年1月撮影)

学生が去った後、六本松では残されたアパートになかなか借り手が付かず、家賃が下がり続けた。例えば木造のワンルーム、20平方メートルほどの物件は、3万5千円でも借り手がない状態だったという。取り壊されたアパートは、コインパーキングなどに姿を変えた。

田中さんは「そうした『眠らせるしかなかった』土地が、地価の上昇に伴って動き出した」と話す。地価上昇は、メーンの通りから奥に入った住宅地にも波及しており、六本松に隣接する中央区谷では、1坪40万円程度だった土地が2倍以上で取引される例もあるという。「過熱感さえ出ている」(田中さん)状況だ。

転勤族も、六本松に注目している。来春、福岡市に引っ越す予定だという都内のIT企業の男性社員(38)は「大濠公園にも徒歩で行けるし、今、一番注目の街だと聞いている」と、すでに物件の目星をつけている。