人生は悲しみだけじゃない。葬儀と「お別れ会」の違い
近年、一部の地域では、葬儀の原点回帰の動きが見られる。
例えば岩手県釜石市では、他の地域と同様、葬儀は「寺院や自宅で行われるもの」から、「葬儀社によるホールで行うもの」に変化した。しかし同市の葬儀社の話によると、再び10年ほど前から徐々に寺院や自宅での葬儀に戻り始め、現在はすっかり逆転してしまっているという。
さらに、長い葬列を組んで墓地までひつぎを運ぶ「野辺の送り」は、かつては日本各地で見られた葬送の儀式だが、現在はほとんどの地域で廃れてしまっていた。ところが最近釜石市では、家族葬を行った場合でも、少ない参列者で短い葬列を組んで、「野辺の送り」を行うケースが増えてきている。
しっかりと時間をとって儀式的なものを行うことにより、人は気持ちの区切りをつける。「お別れ会」が緩やかに広まってきているのは、同じような意味や役割があるためだと考えられる。
「『お別れ会』と葬儀との1番の違いは、『お別れ会は悲しみだけではない』という点です。生と死はつながっていて、故人には人生があります。遺された人にとって、大切な人の死は悲しいことかもしれませんが、その人と過ごした時間には喜怒哀楽があったはずです。遺された人たちが、その人の人生を思い出し、記憶をたどり、もう一度心の中に入れ直して、『さよなら』だけでなく『ありがとう』と感謝を伝える。それが『お別れ会』です」(鎌倉新書)
「しのぶ」ことの大切さ
何事も一方に寄りすぎると、揺り戻しが起こる。葬儀の縮小化・簡素化が進み過ぎたが故に、故人をしのぶ意味や大切さが見直されてきた。遺された人の心をケアする「グリーフケア」にも注目が集まっている。葬儀はこれまで、亡くなった人のために行うものとして捉えられてきた。しかし、「お別れ会」の増加は、生きている人にとっても儀式が必要だということが、広く認識されてきた現れともとれる。
人間は、紀元前から弔いを行ってきた。4万年以上前のネアンデルタール人の骨が発掘され、周囲から花粉の化石が見つかっているほどだ。葬儀も「お別れ会」も形が違うだけで、弔う、しのぶという行為自体は、人間の本能的な欲求から来るものなのかもしれない。