世界に広げた人脈 新天地で開花へ

商社担当の営業部でも、貴重な経験を積んだ。日本がバブルの後遺症で傷んでいたときだから、商社も事業を洗い直し、借入金をどんどん返してきた。後ろ向きの仕事に、退屈する。でも、商社も、ただ縮こまっているわけにいかない。ある商社が、米石油資本(メジャー)が牛耳っていた中東で、カタールの液化天然ガス(LNG)の採掘権を買い取ってきた。

それを受け、別の商社や銀行、石油公団も巻き込んで、開発体制を築き上げる。これを機に、同国はLNG大国となり、輸出の拡大で日本の造船会社や海運会社も潤った。このプロジェクトで、様々な人脈ができる。30代前半に米ヒューストン駐在員を務めた際、米メジャーや資源関連企業を巡って築いた米国人脈と合わせ、知人や友人が世界に広がった。

常務になり、富士銀行と第一勧業銀行との経営統合でできたみずほグループでも常務を務め、2003年4月にみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)の米州地域統括としてニューヨーク駐在となる。翌年、黒船が浦賀にきて、日米が和親条約を結んで150周年を迎え、08年には修好通商条約から満150年となる。その記念行事の一つに、テレビの著名な対談番組での日米特集があった。

両国の大使が登場し、その後、日本人ビジネスマンとウォール街で経歴を積んで商務長官も務めたピート・ピーターセン氏との対談が、計画された。だが、駐在中の日本人は尻込みをするばかりで、困った関係者が「マット、頼むよ」と言ってきた。「マット」は、「まさつぐ」の名からきた愛称だ。

出演して、40分ほど、自由に話す。米国では「日本人の話は情緒的で、主張は合理性に欠ける」との指摘もあるが、関係ない。「方枘圓鑿」とは無縁だから、話は弾んだ。ただ、英語でも、日本語と同様に早口だった。そこからも人脈は伸び、日本郵政グループ入りする前に、米シティバンクの日本法人で会長を務めたのも、そういう縁がもたらした。

ゆうちょ銀行で1年近く社長を務め、2016年4月に親会社の日本郵政の社長に就く。グループを見渡せば、ゆうちょは全国で銀行や信用金庫、信用組合などと厳しい競争にさらされているうえ、日銀のマイナス金利政策で貯金に集まった資金の運用も難しい。これは、かんぽ生命保険も同じ。日本郵便は、はがきや手紙は電子メール、小包は宅配便との競合で、収益確保が大変だ。しかも、いずれも「人口減による市場の縮小」という構造問題を抱える。

だが、民営化し、株式も上場したのに、新天地で手をこまぬいているわけにはいかない。躍進には、海外に築いた人脈を活かしたい。資産運用には、日本より金利が高く、株価も堅調な先進国がある。リスク管理部門を手厚くしつつ、徐々に踏み出した。郵便も、企業や個人の活動のグローバル化や外国人訪日客の急増を基盤に、新たな展開を構想する。人脈を駆使したM&Aも、やる。無論、いまやたくさんの一般株主もできた。最後は合理性であり、「方枘圓鑿」は退けなくてはいけない。

兵庫銀行への救済融資で、担当常務に「危ない案件だが、国家として救いたいと言っている」と報告した後、「回答は、一つだけ。『出した資金が必ず返ってくるという仕掛けがなければ、貸しません』と言うだけです」と言うと、常務は頷いてくれた。

合理性の堅守も人脈の形成も、当然ながら、いい職場と上司に恵まれたからだ、と思っている。

日本郵政社長 長門正貢(ながと・まさつぐ)
1948年、北海道生まれ。72年一橋大学社会学部卒業、日本興業銀行(現・みずほ銀行)入行。2000年執行役員、01年常務、02年みずほ銀行常務。06年富士重工業専務、10年副社長。11年シティバンク銀行副会長、12年会長。15年ゆうちょ銀行社長。16年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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