だが、簡単には頷けない。約60あった第二地銀は、系列ノンバンク経由で、ゴルフ場建設やリゾート開発などに貸し込んでいた。総残高は約6兆円で、兵銀がその3分の1も占めていた。しかも、バブルがはじけ、その3割が不良債権となり、回収の展望はない。要は、救済融資など理に適わない。当然、「こんな倒れるかもしれない銀行に貸せません」と答えた。

合理性を追求する米国で修士号を取り、ウォール街でもまれた身には、「不合理なものは不合理」との思いを脇に置くことはできない。しばらく、押し問答が続く。ただ、国に頼まれた形だから、そのまま帰るわけにもいかない。そこで、「できる範囲でお手伝いしますが、損が出ない仕掛けがほしい。担保が融資額の2倍あれば、貸せます」と切り出す。だが、相手は「担保はなしか、せいぜい融資額と同額だ」と突き放す。

思わず「何を考えているのか。倒れれば、いろいろ債権者が出てきて、担保順位1位で抑えていても、管財人の判断でどうなるかわからない。だから、2倍分は必要なのだ。それが、金融の常識だ」と声を張り上げた。だが、「あなたは、日銀マンに常識を教育するのか」と、怒りの声が返ってきただけ。物別れのまま、帰宅する。

翌日も、深夜に呼ばれた。今度は、持ち株比率2位の銀行の担当者もいた。話の内容は同じだが、こちらの言い分が通り、兵銀が持つ400億円分の株式を担保に3銀行で融資する、と決める。

それでも、兵銀は95年8月、銀行として戦後初の破綻に至る。地元自治体や経済界が支援を重ねたが、70年代からの拡大路線がバブル時代に放漫な膨張へつながり、不良債権に押しつぶされた。阪神淡路大震災で深手を負った地域経済への影響を抑えるため、業務は官民でつくった新銀行に継承され、元銀行局長は去った。やはり、無理なものは無理。40代後半に、差しかかっていた。

「持方枘(ほうぜい)欲内圓鑿(えんさく)」(方枘を持って圓鑿に内れんと欲す)──四角い突起を円形の穴に入れようとするものだとの意味で、中国の歴史書『史記』に収められた言葉だ。できるものではないことを指し、不合理な行為を戒めている。金融の常識と相容れないことは無理だと指摘し、合理性を追求した長門流は、この教えに通じる。