労働時間を制限すれば、競争は激化する

今、「働き方」の改革が、俗にいう「ホワイトワーカー」の世界でも盛んに叫ばれています。つまり、単に物理的に劣悪な労働環境の改善を言っているのではなく、社会的に「エリート」と呼ばれるような労働者の間においても、勤務スタイルや職場の人間関係などがテーマになってきています。しかし僕は、これは企業側の問題ではないんだと思っています。政府も世論も、やたらと「企業側の責任」を主張していますが……。

むしろ、この問題の本質は「労働者側」にあるんじゃないかと感じています。フランスでは、「就業時間外には仕事のメールを見なくてもいい権利」が労働者に認められたというニュースがありましたが、あくまで「見なくていい権利」なので、「見てもいい」。日本でこんなことをやっても、時間外で仕事メールを見ない人や会社が増えれば、逆にその時間に「仕事メールを見る」ことで他を出し抜くところが現れる。企業が労働時間を制限しても、エリートの世界では競争に勝つチャンスが生まれるだけです。

根本的な、「仕事≒時間」という考え方が変わらない限り、いつまでたっても長時間労働の問題からは解放されません。

こんな問題が起きてしまうのは、僕たちが「労働者として競争しているから」だと思います。人生をかけて。これは学校教育の段階から染み付いているものでしょう。最終的な出口として、「いかにして立派な労働者を育てるか?」というゴールを目指した教育を受けて勝ち抜いてきたエリートたちは、早く帰れとか、仕事減らしていいよ、という方針をつくられたとしても、なかなか立ち止まれません。

ちなみに、「労働契約」によって働いている労働者ではない人たち、たとえば経営者や投資家、独立した芸術家などは、いくら「時間外労働」をしても、それが原因で自殺に追い込まれたりはしないのだと思います。彼らは、自分で納得して時間を使っています。時間の長さの問題ではありません。自分の人生において「働く」がどのような位置づけのものであるのか、そこに本質があるのだと思います。