グルジア大統領 Mikhail Saakashvili(ミハイル・サーカシビリ)
1967年生まれ。ウクライナのキエフ国立大卒業後、米国や欧州の大学で学ぶ。95年グルジア国会議員。法相、トビリシ市議会議長などを経て、2004年大統領。現在2期目。40歳。
世界が北京五輪開幕を待っていた8月7日深夜(日本時間)、親ロシアの分離派政府が支配する南オセチア自治州ツヒンバリへの総攻撃をグルジア軍に指示。ロシアのメドベージェフ大統領はボルガ地方視察中、プーチン首相は北京五輪開幕式出席で、モスクワに司令塔が不在となった一瞬の行動だった。
「 ロシア軍はグルジアを侵略した」。紛争発生以来、連日のように欧米メディアに登場、まくしたてるような英語と大きな身ぶりで軍事進攻の正当性を訴え、支援を求めた。
旧ソ連諸国の民主化革命の先駆けとなった2003年の「バラ革命」の旗手。07年に野党系の集会を武力で鎮圧、民主政治家の看板は大きく傷ついたが、ロシアとの軍事衝突による危機感をばねに、支持率を回復しつつある。
グルジアはカスピ海と黒海をつなぐカフカス地域の要衝。カスピ海の原油をロシアを経由せずに欧州に輸出するパイプラインも通り、米ロの覇権争いの最前線でもある。北大西洋条約機構(NATO)早期加盟など親米路線を掲げるサーカシビリ氏は、グルジアを勢力圏にとどめておきたいロシアにとって格好の標的となっていた。
米コロンビア大学などで学び、米国の法律事務所に勤務。米国人脈では、共和党の大統領候補マケイン氏の外交顧問との親交も。
20代後半で祖国に戻り、政界入り。旧ソ連外相も務めたシェワルナゼ大統領の下で、「大統領も含め、閣僚は汚職まみれだ」と抗議して法相を辞任、改革派を印象づけた。
同国出身のスターリンと同じ誕生日。英語、フランス語、ロシア語に堪能。二男の洗礼の代父は、NATO早期加盟で連携するウクライナのユーシェンコ大統領で、家族ぐるみの付き合いだ。