分裂・消滅のプロセスに足を踏み入れた

今度ばかりはほとほと愛想が尽きた。民進党のことである。参院選、都知事選から党代表選に至る迷走ぶりは、完全に分裂・消滅のプロセスに足を踏み入れたと思わざるをえない。

維新の党が合流して「民進党」に党名変更したのが3月のこと。「『民主党』では選挙に勝てない」という泣き言も情けないが、看板を掛け替えて党勢が回復するなら世話はない。問題は中身である。

一時的だったにせよ、当時の民主党があれだけの人気を得たのはなぜか。民主党が飛躍した選挙で目立ったのは、小選挙区において各都道府県の県庁所在地がある一区を民主党候補が取る「一区現象」である。それまで日本には都市型のサイレントマジョリティを代弁する政党がなかった。田舎の代議士が多い自民党は農村型のノイジーマイノリティの代弁者にすぎず、利益誘導で地方や少数利益集団にカネをバラまいて政権を維持してきた。これに不満を抱いてきた都市型の生活者の期待に応える、というのが民主党の立ち上げ当初の売りであり、その期待感の現れが「一区現象」だったのだ。

民主主義の根本であるところのマジョリティに拠って立つ、ということで民主党は自民党との対立軸を明確にしてきた。たとえば医療問題では医師会重視の自民党に対して民主党は患者側に重きを置く。年金問題では年金機構ではなく年金受給者に重きを置くし、教育改革では教師や学校側ではなく、生徒や保護者に重きを置く。受益者側に重きを置くことで、予算配分もドラマチックに変わってくる。

私が提唱する心理経済学でいえば、サイレントマジョリティが抱いている不安感が消費を鈍らせ、日本の景気をおかしくしている。日本経済の再生に本当に必要なのは、アベノミクスのようなまがいものの経済政策、人工的な成長戦略ではない。ひたすらサイレントマジョリティの将来不安というものを取り除くことだ。その意味では、民進党は「サイレントマジョリティのための国づくり」という原点にいま一度立ち返るべきなのだ。

ところが民進党は自らの立脚点を見失って、あろうことか共産党と共闘を始めてしまった。一つの主張にこだわる共産党の姿勢はある意味で評価できるが、この国をどうするかということについては何の提言もしてこなかった。進駐軍が書き殴ったような憲法を後生大事に抱えて、戦後70年経っても書き換え作業をサボタージュしているのは、どこか他の国のために仕事をしているとしか思えない。共産党の主張にマジョリティインタレストはないのだ。

案の定というべきか、民進党、共産党、社民党、生活の党の野党4党が共闘した7月の参議院選挙は不発に終わった。民進党は改選前の45を下回る32議席の獲得にとどまった。「地元(三重選挙区)で負けたら次の代表選は出ない」と語っていた岡田克也前代表の政治センスも最悪だ。4党連携の成果は思ったほど出なかったし、民進党としては議席を大幅に減らしている。安倍政治を阻止できなかったという理由で責任を取って当たり前なのに、全国政党のトップが「地元で負けなくてよかった」と(次期代表選こそ出なかったものの)続投する感性は理解不能である。