「アンダーアーマー」は96年、アメリカのメリーランド大学のアメリカンフットボール選手だった、ケビン・プランクが設立したスポーツメーカーだ。「コンプレッションウエア」という、吸汗速乾性と筋肉のサポート効果のある機能性インナーを軸に成長を遂げてきた。米アンダーアーマーの15年12月期売上高は1ドル120円換算で4750億円。日本のアシックス、独プーマとの3位争いを制し、売り上げ1位のナイキ、2位のアディダスに次ぐ規模になった。
日本にはドームが総代理店となって98年に上陸。ドームは96年に創業し、毎年増加率25%前後で売上高が上昇。15年12月期には売上高356億円を達成した。アンダーアーマーの総代理店として輸入販売だけでなく、国内製品の企画販売や、テーピングの輸入販売やサプリメントの製造・販売も手がける。さらに、野球の読売ジャイアンツ、バスケットボールの琉球ゴールデンキングスなどのチームとも契約を結び、ユニフォームを製造して提供。また、契約アスリートが利用できるトレーニング施設も運営。アンダーアーマーを軸に、スポーツとアスリートに広く貢献する事業を展開してきた。

【弘兼】安田さんがケビン社長のもとへ会いにいった頃、アンダーアーマーはどれくらいの規模でしたか?

【安田】当時、社員2人でした。ドームは社員8人だったので、こちらのほうが大きかった。ビジネスについてもまだまだで、商品が送られてくると、全部不良品。最初から「どうしてこんな商品を送ってくるのか」と文句を言いました。当時、ケビンの付き合っていた女性が日本車に乗っていたので、なぜアメリカの自動車メーカーは凋落したのか、なぜ日本車がいいのか、品質管理の重要性について話をしたこともあります。

【弘兼】アメリカのスポーツ市場を見ると、95年にスポーツ産業(※1)の規模は15兆円でした。それが10年には自動車産業を一時的に追い抜き、60兆円を超えています。アンダーアーマーはその流れに乗って成長したともいえます。一方、日本のスポーツ産業の規模は95年に5兆円だったものが4兆円に落ちています。

【安田】その通りです。僕がドームを始めた頃、アメリカでスポーツ産業は順調とはいえませんでした。スポーツショップの商品は赤札をつけて叩き売り状態、メジャーリーグではストライキがあり、観客席は閑散としていた。

【弘兼】野茂英雄さんがストライキ直後の95年にメジャーリーグに移籍したのは記憶にあります。

(1)本社1階「ドームアスリートハウス」では契約アスリートが汗を流す。(2)(3)2階にはロッカーに隣接するジャグジー、リカバリールームを完備。(4)(5)社食の「DNSパワーカフェ」では、高タンパク・低脂肪の食材を使ったメニューを提供。タブレットでカロリーを計算できる。(6)2015年9月に移転した有明オフィス内の様子。オフィス内に設置された4画面のモニターでニュースを共有。