イケダハヤト氏が説く「余白」の魅力

先日、東京から家族で高知県に移住したプロブロガーでライターのイケダハヤト氏に鯖江市に来てもらい、講演をお願いしました。イケダ氏は神奈川県出身で、早稲田大学を卒業した後に東京の大手メーカーで勤務するという絵に描いたような都会人でした。しかし、結婚し子どもができた頃から都市部での生活に限界を感じ、縁もゆかりもなかった高知県の山間地域に移住しています。

講演するイケダハヤト氏

でもイケダ氏は、別にこの小さな田舎のまちを活性化したり元気づけたりすることを目的に移住したわけではありませんでした。むしろ、移住することによって、自分の仕事や生活を発展させ、より面白い充実した人生を送ることができると考えているようです

イケダ氏はこの日の講演の中で、田舎のまちが一部の若者にとって魅力的である理由は、自分たちで自由に考えて新しいものを勝手につくっていくことができる「余白」があることだと説いていました。そして、人口減少に悩み衰退している小さなまちや地域ほど、その魅力があるんじゃないかとも述べていました。

都会の生活やサービスは一般的に「新しい」ものであるように言われていますが、それは全て巧妙にパッケージ化されたものであり、僕たちはそのいくつかのパターンの中から選択して消費しているだけであって、自分で新しく「つくる」ということができるものはほとんどありません。でも、田舎のまちには少ない資金やリソースしかなくても「余った」場所や機会を使い、小さくても自分で「新しくつくる」という体験ができます。

もしかするとこの「創作」の体験は、成熟社会を生きる今の日本の若者の一部にとっては、「消費」以上に魅力的なものなのかもしれません。「消費」の重要度が下がれば、当然労働や所得への考え方も変わってきます。都市部で働くよりも金銭的な所得は下がっても、日常的な「創作」の体験を得ることによって、それ以上の満足や感動を手にする場合もあります。であれば、田舎のまちは若者に対して「それなりに給料のもらえる仕事」があることなんかをアピールするのではなく、「仕事も生活も自分で新しくつくりだせる環境」があることを訴えたらいいのです。

もちろん、そのような「創作」が必ずしもうまくいくとは限りませんが、生活コストの低い田舎のまちであれば、「試行錯誤」の期間を耐えることができます。当然ながら、都会ではそうはいきません。